昔、日本には手紙などを運ぶ“飛脚“という職業がありました。
その“飛脚”という発想に到ったのが日本人だけです。驚きませんか!
走って手紙を届けていたんですよ!
それに比べて、西洋は馬車を使っていました。
日本人は自分たちが走った方が早いし、それが楽だからこそ、「飛脚」という文化が生まれたのです。走って手紙を届けるというのは、今で言うと…LINEスタンプを走って届けていたように気軽に使っていたのと同じです。
しかも飛脚たちが走った距離はほんと半端じゃなく、記録されているタイムを42.195㎞に換算すると、現代のマラソンのオリンピック金メダリストよりも遥かに早かったりするのです。
それほどの速さで駆け抜けた早足・飛脚の身体能力はとんでもなく凄まじかったのです。
そして、江戸時代には駕籠屋さんもいました。今で言うタクシーですね。
幕末から明治にかけては、人力車も誕生しました。駕籠屋は、2人で人を担いで相当な距離を駆け抜けたのです。
人力車夫に関しては、明治期に日本を訪れた
ドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツが『ベルツの日記』に記しています。
ベルツがある日東京から110㎞離れた日光に旅行をした時のエピソード。当時、道中馬を6回乗り換えて、14時間かけてやっと辿り着いたと言います。しかし、2度目に行った際に人力車を使ってみたら、14時間半で着いてしまったと言います。しかも!その間は一人の人力車夫が交代無しで人力車を引き続けたと言います。
いかにすごいか!
馬でさえ、6回乗り換えないと、走り切れなかった距離を、たった1人で、馬よりたった30分遅いだけという圧倒的なスピードとスタミナで東京〜日光間を駆け抜けたのです。
まさに、馬より6倍の馬力ということです。
わずか150年前、100年前でさえ、これが日本人の身体能力のスタンダードだったのです。ドイツ人のベルツはこの日本人の圧倒的な身体能力に驚きを隠せなく、明治期には「あり得ない!」と驚いていたわけです。
本来の日本人の身体能力はどこの国よりも遥かに凄かったのです。
まだまだ、取り戻すことはできます。どんなに年齢を重ねても。
身体に良いと信じて行っていること、もう一度、ちゃんと見直しませんか。
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HAPPY