幼少期.10 【心のライバル 2】 | 舞踊家 菊地尚子のブログ

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つれづれつらつら。

小3からコンクールの挑戦が年上のお友達たちに交じって始まり、
時には真冬の雪の積もった日に、「北井先生のバカヤロー」などと、
一緒に雪を蹴ってうっぷんを払って帰ったり、
へこんでいるようであれば、お互いに励まし合いながら日々頑張っていました。

コンクールの結果発表は、壇上で予選通過者だけ番号を呼ばれていくのですが、
自分の番号も、お友達の番号も、同じぐらいドキドキしながら聞いていました。
が、狭き門なので一緒に毎回落選しておりました。


そしてそんな小4か小5の初夏の頃に北井先生から

「尚ちゃんのコンクールのソロを、高崎の子供に発表会で踊らせたいから,夏の合宿に連れて行きたい」

と言われました。

「!!!!!」

今まで自分が教わる立場だったのに、先生と一緒に教えにいく!?

まさに将来の夢「バレエの先生になりたい」への、初めの一歩の瞬間でした。

もちろん張り切って「行きます!」と答え、
そして高崎のみんなにも会えるのがとても楽しみでした。

高崎スタジオでは夏休み中に集中5日間レッスンがあり、
東京から先生方4~5人が泊まり込みで発表会の振り移しに行くのですが、
子供の私も新子先生やお姉さん先生達に交じって高崎に行きました。

そして自分のソロを教える相手が、
な、な、なんと心のライバルゆきこちゃんだったのです。

もちろんゆきこちゃんは、とっても上手なままでした。
なので、「教える」というよりは、「伝える」、ということでしょうか。

ただソロを自分なりにずっとイメージ付きで踊ってきたので、振りの解説は
「ここは飛んでいる鳥を捕まえようとするんだ!」とか言えた様に思います。

自分の踊ったソロをゆきこちゃんに踊ってもらえるのは、本当に嬉しかったです。

そして2~3年ぶりにいった高崎スタジオは、
上手だったあこがれのお姉さん達はもういなく、
前よりも子供達が減っていた様に感じました。

そのまた2年後ぐらいに高崎に教えにいくのですが、
その時はゆきこちゃんですら、いなくなってしまっていました。。。

ものすごくショックを受けました。

将来絶対に一緒に踊りたい、
離れてても「心のライバル」なんて名付けていたゆきこちゃんが、
まさかやめてしまうなんて。。。。
本当に泣きたい気持ちでした。

その後のゆきこちゃんの事を聞くと、他のバレエスタジオに移り、
そしてそれもやめ、
中学で新体操を始めたけど、それもやめてしまったとのことでした。
あんなに、あんなに上手だったのに。。。。



その後、私が中学、高校生ぐらいになると、
高崎の発表会でもソロを踊る機会をいただき、毎年出演するのですが、
ある時から毎回ゆきこちゃんが観に来てくれる様になりました。

終わった後必ず楽屋に来てくれて、
「なおこちゃん、また上手になったね、ずっと応援してるから頑張ってね」
と言ってくれる度、
「どうして踊りをやめちゃったの?」とは1度も聞けず、
なんとも言えない気持ちがこみ上げながらも、
「ゆきこちゃんの前でハズカしい踊りは踊りたくない!もっともっと上手になりたい」
と毎回強く思うのでした。

そう私に思わせてくれるのは、ゆきこちゃんの存在だったので、
大人になっても、私の中ではずっとゆきこちゃんが心のライバルでい続けました。