ね。
さっき近所のコインランドリーに行く途中「タタタタッ」て水の落ちる音がしたので雨かと思ったら、
2階のベランダからオジンが鍋の湯を捨ててるSEでした。
杉並区の風流ですよね。
さてオジンは渋く、青い柿もまた渋しと言われたもんですが、最近の身の振りは固まりと悲しさを帯びております。
というにも私が今やるべきこと、それはネットでさんざ話した仲間の素となる人、彼らを常に念頭に置き、また自分のお芝居への意識も日に日に強めながら、台本を書くことにあります。
簡単にやるべき事ではないでしょうか。
「なぜお芝居やるのか?」という、部屋の机に散らかった自筆の殴り書きのメモ。そんな痛いグッズに笑顔で返答できる様に、さも問題ないことです。
しかし蓋を開ければ、2人芝居で向き合った激情、その中で生まれた「この能力値で、俺などに劇団チャン立ち上げができるかなぁ」のミニ不安、それにつまされ、
じゃあ勉強しなきゃ、でも勉強のほかにやるべき事あるかも知れぬ、という怪獣シリ丸出しの葛藤、
冷静さを見失い、はては舞台で爆裂に出て行ったお金を稼ぐ算段さえ整わず、
怠惰な地べたワインドランカーの風情です。
ワインドランクの後にあるのは頭痛とバイト遅刻か?と知ってか知らずか。
なぜこんななんでしょうね。今に始まった事じゃないなりに。
その怠惰が鈍らせた、「お笑いで書いてたクレイジーなネタが、『お笑いじゃないただの見世物』と言われたから、お芝居で試すしかねーんじゃねぇかよ」という事の発端の、大元の自信の発生源と、楽しい筈の興味。
やってないのに、試せないのではというチキン(鶏)。
結果「今やる事なんだっけ」に戻り、悪魔的な有り様です。
冷静さ無し。冷静そぞろに、2.3年掛けてやろうじゃんと言ってたあの日はどこに。
時間がお薬。
お薬は処方かなわず、また人が去ったのでした。
夏に集めた人が1人2人消え、切り札のように残った、音楽家の男の子平井君。
彼と2人やって行こう、無理くりこうして切り拓いていきながら、との作戦までしていたのでした。
台本は任せろ、でも君は離さん、と啖呵を切った私、
と言いながら新中野での別の2人芝居修行を並行させよう、どっちもこなすからと啖呵メガネ。
例のチキン(鳥)が発動し、私はこなせないものです。
台本作るから、待て待て、でもできない、新中野には出る、終わった、まあ待てと。
勝手にマテマテ言いながら未来への不安が凄いのでしょう、私はその間 ネットで2.3人の方と会ってしまいました。
そんな地団駄の意味不明時間を平井君に味わわせてしまった結果、彼からは「解散してくれ」と言われてしもうたのです。
当然の事。
うーん、あれ?おれ、何してたんだろう。
酷いことしたな。気付いた時には遅太郎。
彼は俺との無駄時間に芝居と、音楽の2極を再考案したのち、やはり音楽に戻るからと決意していました。人生を4ヶ月、私が足踏みさせた訳でございます。
やべえな。絆とか言ってたのどこのどいつだよ。
煽動、先導、先頭、先行、お前に切れる啖呵は無いよ。
そうした弱気に今さ、でも振り払って!謝って!
相変わらず人様に迷惑をかける29の再スタート、かつ再エンディングなのでありました。
本当はやる事は一つで、ただ先っぽにあるものがフワフワ柔らかいから固くしろ、という反省をもらいます。
平井君には「お前が学ぶものは、リーダーシップなどの、先に立つ者の覚悟」と助言されるのです。
全くその通り。結託のない、皆で作るゴールのない集団なら1人劇団やってりゃいい。
バカだなあ~~。キッズだなあ。
でも、冷静さを持ち、焦らないようにする「浅くても、尖らない」という原点に立ち返れるような気がいたします。
東京に来た6年前のような尖りでもない、でも2.3年前のような調子の乗った浅さでも良くない、その塩梅を学ぶ為に東京の時間を使ったのだからと。
何とも渋うて堅い宣言と文章、心・技・体染み渡れヨ!
文章にしてさえ身が引き締まらなければ、もう染み渡り禁止だよ!
渋して、まずは生活を。
あと、まだ懲りずに声掛けてる仲間候補の子に、多大な愛と安心感を。自信とともに。
横浜うまれのモイスチャー不安若人(サグ野郎)を、芝居で覚醒させ毎日笑って過ごさせたい気持ちで一杯です。
あとはね生活を。
今日の昼さ、何度か教授頂いてる朗読のワークショップの先生が、朗読会をされ、観覧に行かせて頂く予定がありまして。
着替えて家を出、チケット代を銀行からおろそうとしたらみずほ銀行様、鬼メンテナンス停止めさる。
財布には800円金、現地に行くのも命がけ算。
おろさしてよ!おろさしてよ涙。鬼メンテ口座。
「行けなくなりました」と惨めに連絡しましたよ。
こんな惨めな奴人(マン)の子に非ずだよ。
ゆめゆめ迷惑をかけ、また人に去られないように伸縮自在の愛(バンジーガム)を心掛けながら、あこがれの国民生活を送ってゆきますね。