前回、大村知事リコールについての所感を記載しましたが、
今回はこの件と日本のメディアについて気が付いたことを書きます。
私は今回の件で、日本の大手メディア、特にテレビ局と新聞の報道の中立性に改めて疑問を持ちました。
昨年の夏、あいちトリエンナーレ2019表現の不自由展がニュースで報道された時の内容を思い起こしてみましたが、
民放およびNHKのニュースで報道されたのは、かいつまんでいえば、
「慰安婦像などを展示した表現の不自由展に対して、クレームが寄せられ、展示が中止に追い込まれた」
という内容でした。
特にこの展示会について知識のない人が見ると、
「右翼団体などのクレームによって展示会が中止に追い込まれ、表現の自由が侵されている」
と印象を持つ報道内容でした。
私自身も、これらのニュースを見た際にはそう思いました。
ニュースに出演しているコメンテーターなども揃って同様の発言をしていたことを覚えています。
展示内容についても各社が報じたのは「慰安婦像」のみでした。
昭和天皇に対するヘイトを示す作品群や、出征した特攻隊の若者を「間抜けな日本人」と称した作品などについては、
全く触れられていなかったのです。
これらの作品が展示されていたことを私が知ったのは、
今回ネットの記事で高須先生の大村知事リコールの件がたまたま目に留まったからです。
ここで、展示会の内容が適正だったかどうかという議論とはまた別に、
日本のテレビ局の報道に大きな疑問を持ちました。
何故、どこの局も慰安婦像のことしか報道しなかったのか?
当然取材しているはずですから、昭和天皇へのヘイト作品などが含まれていることを彼らは知っていたはずです。
しかし、それらが地上波で流れることはなかった。
多くの日本人は潜在的に、ニュースで流れる情報は”正しい情報”であると、疑いはしません。
そのため、情報番組に求められるのは何よりも事実をあるがままに報道することのはずです。
しかし、今回の件が示す通り、
どのテレビ局も展示会の中の「慰安婦像」のみを切り取り、「昭和天皇ヘイト作品群」については1秒も触れませんでした。
これは日本のテレビ局が揃いも揃って、自分たちの報道したい内容のみを恣意的に報道しているという一つの証拠です。
これは、事実を報道することが求められるはずの情報番組としては、おかしいと思いました。
それでは、何故テレビ局が慰安婦像についてのみ触れ、
昭和天皇ヘイト作品群について触れなかったのかを考えました。
何か理由がなければおかしいからです。
本来であれば「国の象徴」と憲法にも明記されている天皇をヘイトするような作品群が公金で展示されているのであれば、
そのことの方が話題性も強く、大きな問題にもなるはずだからです。
テレビ局で情報番組を作成している側に立って考えてみます。
表現の不自由展がクレームで中止に追い込まれたことを報道する上では、その理由を説明しなければなりません。
そこで彼らはどういう訳か、
昭和天皇ヘイト作品は番組には出せない、と判断しました。
しかし一方で、慰安婦像の展示についてはクレームを集めた原因として番組に出せる、と判断した。
この2つの差は何かを考えてみましょう。
昭和天皇ヘイト作品については、「天皇を国の象徴」として認識する多くの日本国民の反感を買う可能性が高いです。
一方、慰安婦像はどうか。
慰安婦問題についてはここ最近、慰安婦を性奴隷とする韓国のこれまでのプロパガンダの論拠が破綻する事実が立て続けに明らかになっています。
その結果、この問題の詳細を知る日本人は少しずつ増えてきてはいるものの、韓国側のプロパガンダをそのまま信じている日本人もまだ多いというのが現状と思います。
つまり、「慰安婦像についてクレームが出た」という理由にすれば、多くの日本人は「慰安婦像に反対する一部の人たちが熱心にクレームをいれたんだろうな」と思うと番組制作側は判断したのではないかと私は思います。
番組制作側の意図としては、
表現の不自由展を主催した側が多くの非難に晒されることから守り、
加えて、いわゆる「右翼」が表現の自由にも干渉してきている、と多くの人に印象付ける狙いがあったのではないでしょうか。
そう考えると、
テレビ局が「昭和天皇ヘイト作品」については触れず、「慰安婦像」のみを報道したことについて、辻褄が合います。
しかし、恐ろしいのは、
地上波で流れている全ての局が同じような報道しかしなかったことです。
この件だけを見ても、
日本のテレビ局による報道はこれでは著しく中立性を失っていると思います。
報道の自由ではなく、報道する事柄を選択し、報道しない自由を行使することで、
世論に対して印象操作をしているとも言えます。
一方、表現の不自由展の展示を公金で行ったことを問題とした大村知事へのリコール運動については、
テレビではほとんど報道されておりません。
知事に対するリコール運動は初のことですから、民主政治の一運動としてそれなりに取り上げられてもいいと思うのですが、
私が知る限り、少なくとも私の住んでいる地域の地上波では大きく扱ったテレビ局はありません。
慰安婦像に対するクレームという内容で表現の不自由展を大きく報道したメディアが、
同じ昭和天皇ヘイト作品に対する公金使用で巻き起こった知事リコール問題を申し訳程度にしか報じない。
これはやはり、報道する内容をテレビ局が都合のいいように選んでいると考えられる一例です。
大村知事へのリコール運動を報道することで、昭和天皇ヘイト作品の存在が広まるのが不都合なのか、
自分たちの偏向報道に気づかれるのが不都合なのか。
そして、これらの情報が広まることで大村知事へのリコールが成立することが不都合なのか。
もしくはそれらの全てかもしれません。
今回はこの表現の不自由展の一件でしたが、
日本の報道の特徴を意識してみていると、多くの偏向報道に気が付きます。
それらの特徴について、次回に続きます。
しばらくしたらまた医療の話に戻ります。