「その人が耐えられる修業しか起こらない」って言われても先は読めない | オカハセのブログ

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こんなタイトルつけましたけどね。まあ先がわかると全く修業にはならないのですよね(笑)。


最初にリブログ記事とは関係のない挨拶をします(笑)。
今日はジョンレノン氏の命日です。
久しぶり聴いてみようかな?


話変わってリブログです☆(早っ、笑)
僕がいつも楽しみに読んでいるNoisyのお遍路ブログ。
このリブログ記事からの3連チャンの記事はとても読み応えがあるので、是非とも僕の読者さんにも読んで欲しいと思いリブログさせていただきました。


(注釈)因みに彼女は極度の鳥目なようでして暗くなるとほとんど至近距離以外見えなくなるそうです。

このリブログ記事から3連チャンに渡る記事を読んでいてつくづく感じることがあります。
人はいつ事故にあって、そして最悪な場合は命を取られてしまっても不思議ではないということを考えさせられました。何故なら勝さんが電話をかけて来てそして切った後にも【心配こそはすれそこまで動いてくれるとは限らない】しかも勝さんは托鉢をしてるのでその後に公衆電話に入れるお金すらない可能性だってありました。Noisyがタクシー会社に電話をかける直前のタイミングは、なにかお大師さんのイタズラ=Noisyの修業&相手側のお接待等の意味ある必然を感じます。
だからタクシー会社に電話が出来なくてあの寒いドライブイン水車のトイレで疲れと寒さで衰弱して救急車を呼ばれてもおかしくはなかったのかもしれない。いや救助に来なければそれも朝まで放置されてしまっていたかもしれません…
ドライブイン水車の辺りは高知県の中ではかなり気温の低い所でしたから。僕も朝起きた時霜が降りていて寝袋から出るのが少し辛かった場所です。
レストランの方の世知辛い対応には人間的には憤りを感じてはしまうけど、それすらもお大師さんの意図することだったのかと…こういう事は突き詰めて行くと誰が親切で誰が不親切だったのかという結論は出ない事です。
四国は確かに【奇跡が起きる】場所です。
勿論全ての人に共通して奇跡が起きるとは限りません。例え人徳があり普段の行いが良くても…
その話についてはテーマがズレるので別記事にします。努力や普段の行いや人徳等を超えた【個人の星】という事についてそのうち御託を述べます(笑)。




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