目の前で起こる出来事から
ワタシを確認する瞬間が増えた
人って面白いな
と思った4月はじめ
視点が変わったかも
自分で変えられるって本当だ
と感じるレベル
お客様のお茶を出してくれた人がいた
たまたまお茶のことで思い出したので
忘れないうちにと給湯室に行くと
ありがとうございます
お茶碗洗ってくださって‥‥ と言われたので
えっ?
ワタシ洗ってないよ
ワタシじゃない
絶対 ◯◯さん(ワタシのこと)だと思ったんです
その絶対がどこから来るのか?
絶対って何?
その人からワタシはどんな風に見えているのかな?
そう思わせたのはなに?
答えを探すつもりはないけど
なに?なに?が浮かび
実際とのハズレ具合に
面白いな
席も離れているしそんなに話したこともない
一度 一緒にお昼食べたとき
どーでもいい話(気づいたら意識な話でした)
をした記憶があるくらいの
入社一年経つ彼女
過去と現在 今の自分の在り方の違いを
面白く感じた
感じさせてもらえる時間
絶対 ◯◯さん(ワタシのこと)だと思ったんです
まず 自信を持った言い方
と
ハズレ〜 と笑えた 以上。
過去のワタシは
たぶん
優しい人 といわれてる気がして 誰も言ってないし
ワタシじゃない ワタシがやってない
出来ていなかった
ダメじゃないもっとアンテナ張らなくては
と思ったかかどうかはわからないけど
それに近い感じ
彼女が思った いい人にならないといけない
彼女の想像する私2️⃣
人が思う私になろうとしただろうな
書いているとわかりやすい
意識が外側を向いている
他人軸 以外なにもない 笑笑笑
いい人で存在したかったんだ 怖かったんだ
そして
いい人じゃないと思っていたんだろうな
嫌われるのも怖かったんだろうな
自分の欠けていると思い込んでいる部分を
埋めていた気がする
◯◯があっでもなくても ワタシ
そして全部あるんだろうなと思う今
(本当はある と言いきりたいの)
自分を生きていなかったな
と思うが
自分を責めないワタシがいる今
静かに出来事を思い出しながら
流れていく時間が心地いいものに変わっている
いま いま いま
あの時は一生懸命な自分だったことも感じる
全部いいね👍だ
自分を生きるって
自分に優しく寄り添って生きるってことかな
自分に優しくの
優しいの定義も人それぞれだから
一般的にいわれる優しいや
他者の優しいに惑わされず
自分に当てはめなくていいよ
自分の‥‥ で生きられると楽
楽に生きていい
自分の定義で生きていい
定義がなんか違うぞ
なんかしっくりこないと気づいたら
変えながら進んで行けばいい
気づくって素晴らしい👍
だから 自分が選んだことに間違いなんてない