去年の秋の雨の日

バラしてしまった大山女魚



ヒルが出る前に

もういちど

あの女に

巡り逢いたい



なんて下らない替え歌を脳内カラオケしながら

昨日まで点灯していたはずの

天気予報の雨マジックは消えてしまったけれど


部活の練習試合に行く下の子を

集合場所まで送ることでちょっとだけ罪滅ぼしをしつつ


朝はゆっくり

最後の堰堤から連瀑帯を巻いたところから

目指すはサンダーフォールまで。





その間も、

それなりに釣れたし

何より電光石火に出る魚に

電撃合わせをしてみれば

もの凄い引きだったりするから

あの女がまた来てくれたかと思わせてくれる。


それは、渇水と訪れる釣り人達にちょっとイライラしていた

8寸イワナのスレ掛かりだったとしても

胸の鼓動が止まらない

そんな釣りをした。



途中の沢を過ぎた頃から

此処も去年の雪の影響か

倒木が激しい。


この先は木も被るし

溯行も楽しくないのであれば

この岩場を登る気も失せる。





もう充分楽しんだのだから、

それに単独だとちょっと怖いし

この上の滝見物は諦めて

まだ時間は早いけれど

やっぱりヤマメの顔もみたいし

少しだけ釣り下がりながら帰ろう。


そう思ったのだけれども、


途中の大滝がある沢が気になった。





出会い付近だけちょっとだけと入ってみれば


直ぐにイワナが出て来た。

大きくは無いけれども

次のポイントでも

その次のポイントでも


その次も、その次も






結局、イワナに案内されるかの如く

来るつもりが無かった大滝まで来てしまった。



いつも人気のこの滝も

今日は雨予報のせいか

もしくはボチボチ出始めるであろうヒルを警戒してなのか

訪れる人が少なく

きっと寂しかったのだ。



日頃の釣れない鬱憤を晴らす為に

此処ぞとばかりに釣りをした訳じゃない

ただ大滝様に招かれて此処迄来ただけの事。



そういう事にしておこう。

しておいて下さいな。


晴れの大滝(様)







母の日に、母と墓参り。


昭和の終わり頃に建て直された墓石の裏を覗いてみた

成人男性でもっとも古いご先祖様の戒名が

桂樹院殿秋山浄香居士  

(弘化四年七月亡)

とある。

他のご先祖様の戒名は正直ちょっとイマイチだけど

これは素敵な戒名だと思った。

俗名の記載は無いけれど

国会図書館に行って、藩士名簿を探してみれば

一人だけ、同一人物である可能性のある人物の記載がある。

水野沼津藩の家臣名簿だけれども、

本國が尾張

生國が武蔵

とある

遡り、尾張の藩士名簿を探すが、そこはさすがに徳川の藩であり、

同性の藩士も複数居て、ご先祖様探しはそこで一旦ドン詰まり。


あっという間に薄まってしまう、

血筋という事にはあまり意味がないと思うけれど

墓石に刻まれた戒名に

なにかご縁を感じて

想いを馳せてみるという事は

とても楽しい事だと思う。






ドン詰まったものの

ご先祖様の道名の”秋山”は地名であると推測し、

生國である武蔵の國で秋山の地名を探すと、ちゃんと存在し、

もともとは三河が起源と思われる遠いご先祖様が

その秋山がある武蔵の國の北西部付近に居たという歴史もあり

あくまで推測の域は出ないけれども

きっとご先祖様は一時はその秋山という地に居て

太平の世にあってはきっと釣りに興じていた筈で

そして、たいして釣れなかっただろうけれど

同士達には

さぞ戦で手柄を立てたかの如く

ホラ話に花を咲かせていたに違いないのだ。






そして現在

その子孫は

魚拓の代りにスマートフォンで

写真なるものを撮影し


やっぱりたいして釣らぬのに

さぞ釣りましたかの如く

なんの変哲も無いイワナやヤマメなる魚の写真を

ここに飾るので候





平成の 釣士は釣らねど 高楊枝



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和田峠が未だに通行止めの様だし

連休中に小仏を超えるのは自殺行為。


近場の沢を散策したり

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山道の先からお気に入りの沢に行ってみたり

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やっぱり人はたくさんいるけれど

明らかに一ヶ月前とは風景が変わって

藤も麓では咲き始め

魚も水面に激しく顔を出す

初夏を満喫。

泳ぐにはまだちょっと水が冷たいけれど。

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 その山道は、

 まだイナカに通い出した十数年前、途中迄登った事があるのだけど

 夏場はヤブで入れないし

 もう消えてしまってるかもしれないと爺が言うので、足が遠のいていた。


 一人で前乗りして雪囲いを外し

 便所に溜まった雪解け水を汲み出し

 まだ残雪が残り、雪代真っ只中の近所の川に一通りご挨拶して

 


 少しコゴミとワサビをとり

 


 翌日に爺とシゲルさんを迎えた後、

 その山道に足を運んでみた。


 残雪がまだ残り、歩き辛い所もあるけれど

 思いの他道自体は明瞭で

 なによりも家の脇の沢の

 滝の上に確実に出られるルートがまだ残っていた事が嬉しい。


 谷は予想以上に深いけれど

 滝の音も聞こえる。



 山桜も点在し

 花を咲かせている。

 



 小さな沢だけど、

 毛鉤だって振れそう。


 なによりもブナに囲まれた森は居心地が良く


 それはここの主にとっても同様な様で

 フリーズドライの糞や

 まだ新しい尿の痕も

 足跡の大きさも尋常ではない。

 もう動き出している様だ。




 一応、脇に差しておいた竿を

 振る事はなかったけれど


 また来よう。


 初めてイワナという魚を見た


 この沢の滝の上に



 


 
 





 

 片手ほどの大きさのイワナを片手ほど釣って

 癒しのナメの脇で昼寝。


 



 登れた筈の滝も、今年はやたらと滑っているので仕方なく巻いたのに

 その後は魚の姿が無い。





 去年の大雪の影響はまだ残り、

 倒木が多く、相変わらず釣り辛い。

 良い型が見えていても、毛鉤を振り込めない所に着いていたりする。






 小さなイワナが多い、小さな沢だけれども

 自分が今迄見た(養殖魚を除いて)、一番大きなイワナはこの沢のイワナだ。

 大きいとは言っても、頭ばかりが巨大で、あとはひょろ長く

 恐らくはこの小沢で何年も生きながらえたものの、とてもエサが足りずにやせ細ってしまったという印象だった。

 その時は、そのイワナを手にして見てみたいばかりに

 木が被り竿を出せない場所に居た事もあり

 とっさに竿を投げて掴みに走ってしまったのだけれども

 捕まえられる筈もなく

 今思えば、この沢の主になんて事をしようとしていたのか

 もうその個体は既に命絶えてしまっているだろうけれど

 もし、再びで合う事があれば

 恐らくはそっと眺めるだけで満足すると思う。




 するかな?

 やっぱり竿を出すかな??



 登山道から降りてきたらしき山ギャルが

 沢に入って滑って転んだらしく

 ビショヌレになり大騒ぎする声で目が覚めた。




 標高1220m付近に敷かれた

 広葉樹の落ち葉のふかふかのベッドの周囲にも

 ハシリドコロが群生していた。





 とは言っても、この花を知っていた訳では無いので、

 家に帰ってから調べたのだけれどもどうやら毒草らしい。


 
 お昼を少し回っていた。

 尾根の向こうの沢とセットで来る事が多いのだけれども

 今日はこのまま帰ろう


 満たされた気分のままで。










 


まだ堀江さんが元気だった頃、多分正月だったと思う。

釣り始めにTTC(東京トラウトカントリー)を一人で訪れた事があった。

厳冬期と言う事もあり、なかなか釣れなかったと思うけど、堀江さんが自分の為にその場でミッジフライを巻いてくれて

これでやってごらん

と、優しくしてもらい

それでニジマスを釣った事は

心に残る思い出。




数年後、車イスの堀江さんに

どう話かけて良いのか解らず

今思えばミッジフライのお礼だけでも良かったのでは無いかとか

挨拶だけでも良かったのでは無いのかとか

結局それが私の見た最後の堀江さんだった事は

ずっと心残りだった。



そんな心残りも

TTCで行われた三回忌イベントで

釣りバカのみなさん達と

バカっ話で盛り上がり

釣りをしたりして

やっと

"に"

がついて

心に残る思い出に昇華させることが出来たのかもしれない。







翌日、日曜日のM君との釣りも

一緒に行きましょうなんて言いながら

去年は行けずじまいで

心残りの一つだったけど

今年は大好きな沢の初釣行に

付き合ってもらう事になり

水が冷たかったり

先行者が居たりしたけれど


核心部ではソコソコ魚も出てくれて

流心のど真ん中から気持ち良くヤマメが出てくれたり



お互いに綺麗な魚を釣って

心に残る釣りとなった。




やりたい事を全部出来るわけじゃない。

でも心に残る思い出を誰かと作る事は

心残りを1つずつ消してくれて

記憶の総重量は変わらないハズなのに

筋肉痛で身は重くとも、

ココロはズット軽やかに。



深い谷の沢床に身を置いて

遊ぶ事の喜びは


今は亡き大先輩の釣師達とも

世代を超えて

共有出来る想いなのだと思う。



心残りのない

心に残る釣りをしたいと思う。





でも、たとえヤマメが釣れたって

もしあの時

M君が水汲みの時に流してしまったコッヘルを

ギリギリセーフで回収出来てなかったら

肌寒い谷底で

熱いコーヒーにありつけず


それはきっと

いや間違いなく


心残りだったハズ。






街路樹のハナミズキが咲いていた。

藤の花はもう少し先だ。


いくぞ!

いこう!

でも雨だな

やめようか?

でも小雨なら

平気か?

行こうよ

いくぞ

でも寒そうだな

やめるか?

やめよう

でも俺は行くよ

じゃ、俺も行く

そんな相棒との押し問答の数時間後



淀に泳ぐ沢山のイワナの稚魚を見届けてから

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8寸ほどの綺麗なイワナを釣った後は

相棒に先を譲ったが

ヤツに魚がこなかったのは

俺らの前後を行ったり来たりする

不思議な釣り人のせいにしちゃおう





行きは冷たく感じた

通ラズの淵に

帰り道は

迷うことなく

二人で飛び込んで

ゲラゲラと笑った。


ひとりで釣るのも良いけれど

相棒がいるってのは

本当に心強い


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寒の戻り

なにもこんな日に釣りに来ることはないのだけれども

木々は芽吹き始め

やっと始まったんだ

釣りの日々が。




 春の陽気に誘われて

 午後から半年ぶりの沢に

 山道を往き

 奥の入口まで来て見た。



 暫く釣り歩くけれど

 魚一匹見えない。


 そんな時は、そんな時で無いときも

 とりあえず一服。


 独り座る大きな岩から見る下界の上空は

 青く澄み渡り

 その下に広がる世界も

 細かい事を気にしなければ

 平穏そのものなのだろう。


 だけど、高飛車に独坐している自分の上空はなんだか雲行きが怪しい。

 強い風も吹き始めた。

 ポツポツと雨が降り始め

 小雪もまざる。


 ウェーダーを履かずに来たので

 淵を腰迄浸かって濡れた体には堪える寒さ。


 雨は好機なのかもと

 毛鉤を流せば

 一尾のイワナが何度となく

 毛鉤に戯れ付いて来るけれど

 咥える気配は全くない。


 とうとう雷まで鳴り出し

 カーボン製の避雷針を持ち歩いてる身としては

 退散するしかない。



 久しぶりに訪れた沢に

 なんだか酷い出迎えを受けた様な気もしたけれど

 悪い気分では無かった。



 帰り道にいつものセヴンカフェで

 空腹をドーナツで胡麻化し

 コーヒーで冷えた体を温めてもらっても

 しめて¥210。


 友人からの電話で

 雷の事を話すと

 春雷

 という言葉を教えてもらった。

 
 辞書的には

 春の訪れを告げる雷と言う事にもなるらしいけれど

 俳句の世界では季語でもあり

 他にもなんだか隠された意味があるらしく教えてくれたのだけど


 良い事だった気もするし、ちょっと不思議な事だった気もするし

 つまり忘れてしまったので

 もう一度電話して聞いて見ようかとも思ったけれど

 それも面倒臭いし


 とにもかくも


 仕事が忙しいなんて愚痴るよりは

 今日、釣りに来る事が出来た事に幸せを感じて

 
 異常気象だ地球温暖化だと騒ぐよりも

 今年も春が来た事を素直に喜べば良い。


 そういう事だと思う。

 そういう事でもいいじゃない






 

 


 


この場所から見る富士山も

今日は何事にも形容しがたい美しさ。


青空を横切る様に筋状に漂う雲を

陰の部分と見るのか

それともこの空で最も潤った地帯と見るのかで

随分と気分も違ってくる様なきがするけれど


そもそも沢床は

この山で最も潤った場所な訳であり、

今だけはそんな事を気にする必要はないのかも知れない。




山に降った雨が

沢を流れ

そこにヤマメが泳ぎ

それを毛鉤で掛ける


ただそれだけの事なのだけれど。




夜に降った雨で

沢は一層潤い

冷たい水の中では頭をもたげ気味のヤマメも

陽が射し

ぐんぐんと熱を持ち始めた空気を伺う様に

少し上を向き始めたのだろうか





禁が解かれた事に感謝したいと思う。










 爺の父上、チヨザブロウさんは、この集落の本家の出だった。

 だけど、長男でもなく、またその出生になんだか曰く付きだった様で、若い頃に家を出る事になり、東京に出て来て機械を作る職人となったが戦況が悪化し、東京で結ばれた奥さんを引き連れてこの集落に戻ってきたそうだ。

 農業の経験がない奥さんと、農家の跡継ぎでもないチヨザブロウさんは、本家に居座る事は出来なかった様だ。

 集落の外れ、山の根の僅かな土地が与えられ、そこに小さな小屋を建て、屋号は山根となり、職人として生業を立て、最終的には8人の子を儲けるのだけれども、長男のシゲルさんは東京で生まれた子だった。

 東京育ちの母に育てられ、東京で生まれたシゲルさんは、学校に入ってもヨソ者扱いで、なかなか集落の子供たちと馴染めなかったそうだ。


 同じ頃、この集落に流れる川の支流を少し遡った所にある集落からヨシオさんが引っ越して来たそうだ。

 事情はよく解らないけれど、歩いたってたいした距離もないその集落での生活が成り立たなかったらしい。

 そんなヨシオさんも、この集落ではヨソ者扱いだったそうだ。

 去年の五月、この川で釣り券を売ってくれたのが、そのヨシオさん本人だった。

 そんな二人が手を取り合い、イヂメっこ達に立ち向かい、次第に集落での地位を確立していくと云う、胸が踊る様なストーリーを聞きながら、雨で作業が出来ない一日が終わった。






 翌朝は雨も止み、シゲルさんと爺と自分の三人掛かりで、家の雪囲いを済ませた。



(って開口部を全部ベニヤで閉じただけだけど)


 爺のお兄さんであるシゲルさんは。

 爺より一足先に中学を出て東京に出て来た。

 だからそれは爺にしても同じ事なのだけど,この集落に住んでいたのは僅か十数年という事になる。

 それでも未だに秋が深まればこうやって倒壊寸前の家を雪から守りに来るし,

 遅い春がこの集落に訪れる五月になれば、この家の無事を確かめにやって来る。


 シゲルさんは今でも時々イワナを釣る夢を見るそうだ。

 チヨザブロウさんは釣りはしなかったみたいだけれど、

 家の脇を流れる沢を登ってマタタビを採りに行っていた様で、

 それについて行ったヨシオさんが見た、悠々と泳ぐ大きなイワナを釣る夢を。


 やっぱりここが故郷なのだ。



 自分を含め、本当の故郷がない人はたくさん居ると思う。

 でも、故郷なんて、あとからいくらでも創って良いのじゃないかと思う。



 育った街で釣ったフナやハゼの記憶はイワナやカジカに置き換えて、

 幼い頃に遊んだ仲間もみんな此処に居た事にして、

 いっそ時代も偽って、自分もシゲルとヨシオの仲間だった事にして、

 もちろん、生涯を此処で過ごしたヨシオの人生がどんなものだったのかなんて解らないけれど、

 


 だって、たった一日二日、雪囲いを手伝いに戻って来ただけなのに、

 ホラ、もう戻って来た事になってるし、


 帰り道が堪え難く寂しいし。




 
 生憎の天気で、集落からみえる筈の薄化粧をしたトリカブト山は見えなかったけれど、

 お土産は下の農家の大根2本と米30キロ。

 他には途中の道から見えた雲海に浮かぶ、

 ビンに注がれて蓋をされた、

 ヤツじゃない方の八海山。