同じお題で書きましょう【私の選んだこの1冊】 | オカミのナカミ

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気の利いたぽんこつです。メルシー。

 
 
 
現在、11月13日23時20分。
 
 


広島ブログで、あまりにも有名な⑦パパさんの企画「同じお題で書きましょう」を前から書いてみたいと思っていたのだが、いつも気づくと〆切を過ぎている。



だいたい、何もかも常にギリギリ体質のオカミ。出社も仕出しも配達も、定刻前に着いた試しがない。
(試しがないどころか、ちょいちょい間に合ってない)


 
 
だが、今日は違う。
いつもは、ああ今回も〆切を過ぎてたなあと思うところだが、あと40分あるではないか。
この企画への初参加が〆切ギリギリなのは、逆に私らしくていいかもしれない。
店が早めに終わったのも何かの縁。
お題は、本で書いてみよう。
 
 
 
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不定期連載雑誌「ヨレヨレ」
今年の2月に出会った本…というより雑誌だ。
宅老所よりあいという、高齢者が寄り合う施設でおこる、ともすれば悲惨な日常を、編集者の鹿子(かのこ)さんが軽妙なテキストと抜群のユーモアで書き散らし、さらにモンドという10歳の少年が描いたイラストが添えられる。
そして、モンドのイラストは本文と全く関係がない。
 
 
 
しかし、いい。
今年出会った書籍の中で間違いなくいちばんだ。
なんといってもタイトルがうまい。
 
 
 
 
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鹿子さんの前書きに、この雑誌の全てがある。
 
 
 
私は、伏線をいくつも張って、それを残さず回収していくような、ラストで一気に収束するタイプのストーリーが大好きだ。
落語を聴くのも好きなので、オチがあるほうが気持ちがいい。
構成力で読ませるタイプのホンが好みなのである。
 
 
 
でも、鹿子さんの作るヨレヨレには、それがない。
毎日目の前で起こる高齢者とのできごとを、訥々と、ただただ今起きている爺さまや婆さまの食事や排泄や、怒りや静けさを、ほぼ時系列に記しているだけだ。
 
 
 
しかしそれが、なぜか胸を打つ。
心に小さな波紋が起こる。
 
 
 
山に登り、草をわけ、道なき道を切り開き、足元だけを見てひたすら前に進んでいく。あるとき、ふと後ろを振り返ると素晴らしい景色が広がっていたかのような、鹿子さんの書く物語はそんな印象だ。計算された構成も相関図もなさそうだ。なぜって本人にすら結末がわからない。
高齢者もヘルパーも、筋書きどおりに動かない。
 

 
オチもなにもないけれど、宅老所よりあいをとりまくお世話するひと、される人の日々の営みが、エンターテイメントのように錯覚するのは、鹿子さんの切り口の巧さと抜群のユーモアだろう。
ああ、あと、この「宅老所よりあい」の代表村瀬さん。
入所者のプロフィールを織り込んだ、この方のエッセイも大好きだ。



文は人なり。
この雑誌に関わっている人の、人柄がしのばれると言ってしまえばそれまでなのだが、人生の終末を迎える場において、愉快・痛快・暗くないこのリアルなエッセイは、痛みや涙やどうしようもない苛立ちを内包しているから、おもしろい。
そのおもしろさは、筆者の人間力そのものだ。




構成なんかにこだわらなくても、伏線がなくても、対象といつも真摯に向き合う人は、それを魅力的に書けるんだよなあ、といつも鹿子さんの才能と人間力が羨ましい。
その人間力をちょっと妬みつつ、今年の私の選んだこの一冊に、3号まとめて紹介したい。
 
 
 
 
ここまで書いて、現在12時6分。
ああ、やっぱり間に合わなかった。
 
 
 
それでもいいや。
書いたんだから公開しておこう。


 
 
いつもはつけたい、オチもつけずに、このまま終わるのも、たまにはいい。
 

 
あ、そうそう。
この雑誌の挿絵を描いているモンドくん。
モンドの父はミュージシャンで、ボギーというらしい。
福岡のミュージシャンの中でも、異色ではみ出し者だそうだ。
そのボギーのバンド名は「ヨコチンレーベル」
 
 
 


やっぱり、タイトルがうまいなあ。