これは、ほかの著作「トラッカー」「グランドファーザー」「ハンテッド」に比べると、なんといっていいのか、よりインディアンのスピリチュアルな生き方を実践し学んだ過程が鮮明である。
(日本語版2008年2月)
前作には、まだ現実との接点があるので急にスピリチャルな世界に浸ることはない。
だから、前作を知らずにこれだけ読むと、ニューエイジ用語が散乱しているのでそっち系の本かと思うかもしれない。
スピリチュアルな世界も現実も一体として存在することをここでは「ワンネス」といっている。
何年か前、「ワンネス」という言葉を聞いた当初はニューエイジがまた新しい用語をつくったのかと思っていたが、もしかしたら、出所はアメリカン・インディアンだったのかもしれない。
この本には、もちろんイルミナティ云々は出てこない。
イルミナティと関連付け比較するのは私の作業である。
今までもそうだが、イルミナティは自分たちで創造することができない。
地球のような物質化した世界で創造する場では人間の介添えが必要だ。
イルミナティが次の時代を見据えてシャーマンの言葉を剽窃しニューエイジを作ったようにである。
有効な技術なり、教義は宇宙の進化の現われである人間のシャーマンのような知恵者からすべて盗んだもので、自分たちに都合のいいように言い換えを行なっている。
インディアンの「ワンネス」という考え方は縄文日本人の精神と物質は「一体」であるという感覚と同じものと考える。
原初の人間の生き方がここに現われているのだとしたら、その後興った物質文明は人間とは別の生命体のその性質ゆえ築かれ、それを文明と称している。
のではないかと私は考えている。
勿論、それ以外の納得する理由が見つかればいつでもそっちに賛同しよう。
現代の進化を扱って有名にされたダーウィン進化論に沿えば、インディアンを文明から遅れたものとするだろう。
物質文明から見れば、自然の中に生活する土人は何も文明を築かなかったことになる。
自分もそのように思ってきた。
しかし、自分は進化した人間なのかといえば、おこがましくも、海外の第三諸国の地域へボランティアに行けば物がないと生きていけないのは現代人である。
いま、そのような一方向から見た進化論や考え方を否定する。
物質文明の近代的生活は、精神を病ませ人間から健康を奪ってきた。
その結果、文明社会のシステムでは生きられない人たちがあふれている。
それらを、負け組とか称し勝ち組の世界から蔑むように人間を分裂させている。
すべて自然界に答えがあるように、人間は自然界から生まれ自然界に帰っていく。
そこには、負け組、勝ち組の区別はない。
サバイバルを弱肉強食としたところが間違っていた。
自然界のサバイバルは、自然の法則の中に成立したサバイバルである。
一種のみがのし上がることはなく完全な調和の中にお互いが存在することを教えている。
イルミナティの進化論…
イルミナティのサバイバル…
イルミナティの…
自分がイルミナティの存在を認めるのは、このようなことがあるからだ。
イルミナティのニューエイジのスピリットと
インディアンのスピリットを分別しなければならない。◆