2024年4月17日付け朝日新聞1面の「折々のことば」
鷲田清一さんが選んだ言葉は、柚木沙弥郎さんのこのことばでした。
(以下引用)
まあ、ものの表情をしげしげと見る時間も惜しいみたいな生活、というのは反省しなきゃいけないんじゃないかな
柚木沙弥郎
ものが発する声。それを聞き取る中で、ものへの愛着も深くなる。昔、ものを買った時には「一人の家族が自分の家に入った位の感覚」があったと染色家は言う。その背後には、食べ、働き、育て、泣き、衝突し、といったリアルな生活感の堆積があったはずで、それが消費生活の中でかき消されつつあると。『柚木沙弥郎作品集』から。
(引用ここまで)
これを読んで思い出したことがあります。
今、21歳の長女が4歳か5歳くらいの頃だったかな。
わたしが新しい絵本を買って、わたしが最初に読んであげたいから、こっそり絵本棚の隅っこの方の目立たないところにそっと挿しておくと、気づいて勝手に読んじゃってることが何回かありました。
「ねえ、おかーさんが最初に読んであげたいと思って、こっそり置いてあるのに、なんで気づいちゃうの!?」と聞くと、
娘はこう言ったんです。
「景色がなんか、変わるんだよね」
すごくないですか?
すでに当時、リビングに絵本が何百冊もあったんです、わたし、変態なので。(←言い方)
絵本の1センチにも満たない背の部分をそっと本棚の隅っこに挿しただけで、
「景色が変わる」と。
そんで、見つけ出して勝手に読んじゃう。挙げ句の果てには「いいんじゃない」とか言う。
娘の感覚に、おののく母親でした。
景色が変わる、かあ。
でも、わたしは、絵本に関しては、
「一人の家族が自分の家に入った位の感覚」を持っています。
「我が子」扱い。
だから、「間違えて持ってる絵本をまた買っちゃった」と言うのをよく耳にするけど、わたしは一度もないです。
わたしにとっては、あり得ないです、それは。
自分がその絵本を持っているか、持っていないかは、全部、わかってる(はず)(←ちょっと弱気)
ま。
正直、どうでもいい絵本もありますので、そういうのはちょっとずつ手放していこうかなとか思うんですけど、でも、「どうでもいい絵本」がどうして「どうでもいい絵本なのか」みたいなことを考えると、資料として、やはり手元に置いておいた方がいいんじゃないか、とか考えちゃって、
絵本は、増えることはあっても、減ることは、ない。
なんの話だったっけ?
あ。
そうそう。
だから「モノ」は単なる「モノ」なんだけど、たまにはしげしげと表情を見る時間を持つということをしてみなさいと柚木沙弥郎さんがおっしゃってます。
この全文を読みたい。
調べたら、日本民藝館で購入できるらしいです。
どなたかご一緒しませんか?
まだ、行ったことないんです。
取り急ぎ、最寄りの図書館に『柚木沙弥郎作品集』リクエストしてみました。
購入してくれるかな〜。
↓
県立図書館からより寄せてくださいました〜
これから読みま〜す
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