悲しみを抱えつつも愛を歌声に乗せて世界中に届けた人  カレンカーペンター  | naomi cafeにようこそ 目に見えない多次元のこと

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今日は


広島在住のマクラメアーティスト

文さん


と時を同じく学ばれた松永泉さんの

レポートをご紹介します。


泉さんがレポートに選ばれたのは

カレンカーペンター



母親に愛されたい

愛されていないという思い込み

心の葛藤を抱えていた

カレンカーペンター

読むと胸が痛くなる

そんなレポートになっています。


 

 

 

Karen Anne Carpenter 

1950・3・2−1983・2・4

1950年3月2日アメリカ コネチカット州ニューヘブン出身

1983年2月4日アメリカ カルフォルニア州ダウニー

 

1983年2月4日早朝、両親の家で意識不明になっているところを発見され、

同日死去した。満32歳没。死因は急性心不全

 

長期の闘病生活が心臓に負担をかけていたと思われる。

 

なお、映画『カレン・カーペンター・ストーリー』によれば、晩年は過食症拒食症の症状が

繰り返し起こっており、死去前日は食欲が少し出てきたところで翌日亡くなったことになっている。

彼女の死は社会に大きな衝撃を与え、拒食症などの摂食障害が社会的に認知されるきっかけとなった。

 

【カレンカーペンター】

カーペンターズのボーカリスト、ドラマー。

アルトで3オクターブの声域を持っていた。

 

彼女の声の美しさについてはビートルズのジョンレノン ポールマッカートニーをはじめとした一流のアーティストたちに絶賛を得ている。

25歳の時に精神的摂食障害を発症して過食症と拒食症を繰り返し

32歳で急性心不全で亡くなった。

 

母との確執も病気の一因だったのではないかと考えられる。

 

カレンが精神的摂食障害で一時退院して一家団欒のとき、

できてきた料理は兄リチャードの好物ばかりだったのだ

その時母親にもたれかかりカレンが「私のママになって」と言った。

 

最後の最後までカレンの才能や存在をどのように考えていたのだろうか?

 

母親に振り向いて欲しかったカレン。

一度でもカレンを抱きしめ

『そのままのあなたを愛してる』と言っていたなら

カレンの病気は治ったかもしれない。

 

私と母親との確執を彷彿とさせる。

そんなところからカレンカーペンターの数秘をリーディングしたくなっ

た。

 

 

 

【誕生数(生まれ持った資質、才能、潜在能力)2−11−20】

【2】豊かな感受性と鋭い美的センスの持ち主・協調性・対人能力・イメージする力・アーティスト

 

カレンは、バースナンバーに2を持っています。

感受性豊かで直感力にもさえ、優しくて控えめなところから

兄とのパートナーシップをバランスよくこなしていった。

 

環境に敏感で細やかな気配りもできた。

兄とは正反対の性格だった。兄と比較され、

自分のドラムなどの才能を認められず、

葛藤を抱えていたと思われる。

 

2の特性で繊細さ傷つきやすいところや過度に他人や家族の言葉に反応しやすかったのも

『才能ある兄とちょっと太った妹』という何気ない誰だかの言葉が彼女を病へと加速させたのでしょうか。

 

思春期に一度摂食障害となっていて大人になってからまた繰り返してしまったと考えられます。

控えめな兄を、屈託ない笑顔とトーク力で2の特性である 

調和性と対人能力でサポートしていたのでしょう。

 

 

 

【運命数(人生における使命や目的、何を実現すべきか)】

【3】表現により生きることの素晴らしさや喜びを与える役割・

人の心を明るくする仕事・表現・創造性・楽観・社交的・好奇心・解放的・明るさ

表現により生きることの素晴らしさや喜びを

与える役割もあります。

 

歌という表現が多くの人々を生きる希望を与えました。

歌も得意でしたが

厳しい家計でやりくりして、忙しい両親のもと地下室でレコードをたくさん聴かせた。

 

そこでの経験がのちの多数のヒット曲を産む原点となっている。

地下室は幼い兄弟の才能を育む場所となったのだ。

かなり経ってから兄リチャードに本物のピアノが与えられた。  

 

カレンは3歳年下で、おてんばで明るい性格だった。

兄リチャードは、あまり人付き合いが上手ではないところを

カレンが補っていたりした。

 

そしてカレンは文章を書く才能や絵の才能もあり賞なども受賞している。

 

カレンは元々ぽっちゃりしていた。12、3歳の頃カレンは兄からデブなどと言われ

その頃から体型は気にし始めて一度、病になりかけたこともある。

 

のちに憧れのカルフォルニアに引っ越す決断をした両親。

 

57歳くらいだったが、その頃リチャードが才能を認められいろんなところで演奏をしていた。

 

生活は苦しかったが、世界を飛び回っていた父親にとってはアメリカンドリームでカルフォルニアが憧れの地で

引っ越すのは心配もあったが、リチャードの才能をあてにしていた部分もあったようだ。

 

カレンは慣れない都会生活や贅沢な暮らしは嫌がって、いつものスーパーなどで買い物をするこが好きだった。

 

売れていたので周囲のものから止めるように言われたこともあったようだ。

 

【5】の特性である自由にふるまう環境が必須だったと思われる。

これを書いている間も彼女の心の叫びが聞こえてくる感覚になりました。

 

カーペンターズとして売れ始めたのは兄リチャードが23歳カレンは20歳だった。

華やかな世界は、なかなか慣れなかった。

 

ドラムが凄く上手で、母に反対されなければドラムなどで表現の幅を広げていったことでしょう。

エネルギーのやり場を発散できない辛さや、やりたいこととの葛藤を抱えていたと思われます。

また自叙伝を書いたり、絵の才能もあり見る人の心を動かす才能があった。

ドラムに関しては、コツコツ練習を積み重ねてすばらしい才能があった。時代背景があっていなかっただけで

文章やアートで表現してエネルギーの解放を心がけたら病からも克服できたに違いない。

 

 

【ソウル5(魂の欲求、一番大切ぬしたい価値観優先したいこと)

ここで簡単に両親や彼女の取り巻く環境に触れていきます。

 

 

生まれ故郷のコネティカット州からのカルフォルニアでの成功へと広がったリチャードカーペンターとカレンの音楽のイメージは、アメリカの中流階級の若さに満ちた豊かさの縮図だった。

彼らの家系は国際色に満ちていた。

父は中国生まれのイギリス人母はアメリカ人

父は世界中を旅するなか、妻と出会い結婚

 

刺激を求めて未知の領域を開拓したい父親

印刷業と夜のアルバイトと家は裕福ではなかった。

母親も働きながら家計を支えた。

その中で兄リチャードが才能を見出していた。

本来ならコンサートや本物に触れさせたかったが

彼女の年齢を考えれば理解できるが、ビジネスの歯車にされてしまった若い才能ある兄妹の苦しみを

なかなか理解するのは難しかったのだろう。

 

若いカレンは恥ずかしさもあって、ドラムを叩きながら歌った。

兄リチャードは、カレンの歌声の素晴らしさを見抜いていた。

兄も早くドラムはやめてほしいと考えていた。

同じ時期、母を始め、周りの母の友達からもドラムは女の子らしくないと言われ

ドラマーとボーカルという夢は儚く消えた。

今では当たり前のようにドラムでボーカルはあるのだが、当時は事例がなく、

しかも女性ということで、ドラムは叩かなくなりボーカル専門になった。

たまに気晴らしに家で叩くカレンのドラムは素晴らしかったと兄が証言している。

 

 

 

 

その後、人前に出ると体型を指摘されることも多くなり、ダイエットに本格的に取り込むこととなる。

66キロあった体重が55キロまで一年足らずで減ってかなりの間リバウンドもなく過ごしていた。

当時に医者に指導されたダイエットは、大量のサプリと大量の水を飲むことだった。

みんながハンバーガーにポテトを食べるなか我慢してサプリと水だけのダイエットはきつかったに違いない。

ただ、ダイエットはしなくてもあまりの多忙な日々で食事は戻っていたが太らなかたようだ。

 

体重は55キロまま、過ごしたが20代後半で病が再発し

41キロまで行ってしまうほどにまでなった。

 

 

【人格数(社会的な仮面・他者の目に移る表面的人格)】

【7】洗練されて個性的・

 

ここでパーソナルナンバー7の問題点でもある、自分の殻に閉じこもりがちなところや、自分を理解してもらうように努力したり、1人でいいから心を打ち明ける人がいたら救われたに違いない。

友達はオリビアニュートンジョンと仲良しだった。自分を信頼できない7の問題点から想像すると友人にも心の底から心を解放し分かち合えるまではいかなかったのだろうか。

 

一番の理解者にならなくてはならない結婚相手の借金などうまくいかないこともあって、その頃から病が再発したとみられる。

 

兄の睡眠薬多量摂取と摂食障害とで芸能界という仕組みが若い2人には精神的に苦しかったに違いない。

 

【実現可能数(今回の人生での可能性や実現数)】

 

【5】自由とロマンを体現し刺激をもたらす役割

もっと心の自由を求めていたのではないだろうか。

心と体のバランスを取れる、暖かい家庭や安心する場所を持つこと。

彼女は結婚したら子供だ欲しかった。ところが結婚してから相手がパイプカットしていたことを知りとても悲しかったに違いない。

 

5のネガティブな要素として 

 

神経系のアンバランスなどが人気とともに酷くなったと思われます。

 

本来の活動的エネルギーに溢れている部分が打ち消されて辛かったのでしょう。

 

不安定さや首尾一貫しない行動が拒食症になってから多々見られました。

 

過度の孤立感に苛まれていたと思われます。

 

TYPEⅡ balance−2後天的に経験によってたくさんの資質を得る

●自分が輝くために与えられた特質●

 

Make mood(ムードメーカー 雰囲気を作る力)

【5】

刺激をもたらすヴァイブレーション 覚醒させる換気させる リズミカル、upテンポ

 

ここでもドラムの才能が開花したのもこの特性からだと読み取れます。

 

 

 

Emotion(情緒 感情の現れ)

【5】

鋭利な感受性・束縛と自由・激動と熱情・激しくのたうち回るエネルギー 散漫になりがちな波動

 

ここでは鋭利な感受性が彼女を苦しめ、溢れ出すエネルギーのやり場がなく精神的にまいってしまったのではないだろうか。

 

Creation(想像する力 何かを生み出す力)

【4】

基礎をしっかりと形成させ、実際の成果を導く力現実的着実性やコツコツ時間をかける忍耐力

 

ダイエットでも周りが食べていても我慢できる忍耐力やドラムのコツコツ練習して成果を導くところも特徴として出ていますね。

 

Growth(魂の成長 何かを成長させる力)

【4】

常識 社会概念 従属意識などの一般的な人々の意識を捉える 忍耐強く物事を成し遂げる力

 

自分も精神的につらいのに睡眠薬づけの兄を支えていた。

ハードスケジュールにも忍耐強く臨んだ精神的な強さ。

 

生い立ちと生涯

Cycle 0-35歳

 

Cycle#3 Pinnacle# 5  Challenge#1      

 

1950年3月2日 #20 アメリカコネチカット州 ニューヘヴンに生まれる

 

1963年(13歳)#24 ロス郊外へ引っ越す

 

印刷工だった父親は決して裕福ではなかった。

全ては兄リチャードの音楽のための引っ越しだった。リチャードの才能を見越してもあった両親の決断に受容せざるを得なかった。田舎の伸び伸びした自由な暮らしが好きだったカレンはその時、13歳、慣れ親しんだその場所を6の特性でもある「助けたい」や、「自己犠牲的」な部分で自分の中で折り合いとつけて

引っ越しを受け入れたのだろう。

 

 

 

1965年(15歳)#17  高校生ドラムに目覚め覚醒

 

この頃兄リチャードがピアノをはじめとする才能が開花して一家を支える稼ぎ頭になる。

ここでは8の波動からドラムの才能が開花して自信を持ち得ることになる。

 

1968年(18歳)#20 カーペンターズ結成

わずか18歳という若さで新たな専門領域であるボーカルとドラムスという仕事で人々からの評価

 

家族(兄)との最強なコラボレーションで華やかな世界に半強制的に入る。

カレンは、才能はあるけど人間関係に問題のあるに兄を支えることと同時に、兄からボーカルとしての役割を与えられて自分の意思ではないところでどうすることもできない葛藤があった。

 

1974年(24歳)#26   

3度目の日本来日時、着物を初めて着たが、

一番太っていた時期でもある。163センチ66キロ。 

太っちょの妹と揶揄されたことが過激なダイエットに走るきっかけと言われている。

 

 

 

 

また、お土産に母親に着物を買って行ったら、母が喜ばなかったエピソードがある。

 

ここでも母親との関係性に胸が苦しくなる感じがする。

 

母親との関係も受容していきつつ成功による勢いはいつ寝たかわからないくらい世界中を駆け巡る日々が続く。

 

1975年(25歳)#18 摂食障害で41キロになり、日本公演をリチャードがカレンに相談せずにキャンセルしてしまう。それにカレンが「日本にはいきたかった」と勝手にキャンセルしたことに激怒した。

 

富と力を惜しみなく与える年回りだが、精神的に理解し合える人と向き合うことができていれば、病気は、深刻にならなかったのではないか。

 

リチャードもこの頃は重度の睡眠薬依存症で生死を彷徨う。

 

 

 

1980年 30歳 #23 実業家トムバリスと結婚

借金やなどもあり33歳になったら離婚をすることになっていたが、

その前にカレンは亡くなってしまった。

 

カレンは、富や名声が欲しかったわけじゃなく、普通の幸せな家庭が欲しかっただけだった。

を受ける立場になる。

 

5は変化や冒険を意味する。ここでの結婚は、ドラマチックでもあったが、帰ってマイナスな部分の神経的な不安定さが出てしまうことになり病気も悪化してしまった。

 

1982年2月4日実家で急性心不全で亡くなる。

Year cycle#25

彼女の体力は情熱とは裏腹に孤独との闘いに負けてしまたのだろうか。

 





レポートを終えて

カレンは子供好きで、将来の夢は普通に結婚して、出産して明るい家庭を
持つこと。
あとでわかったが、結婚相手は再婚で、しかもパイプカットまでしていた

夢は叶わなかったどころか、その現実がさらに病気を加速させたのだろう。
2年で破局した結婚生活。

私も、自分の人生と照らし合わせたら、母に、褒められたくて
若くお見合い結婚をしたことを思い出した。
今回は、初めてカレンを深くリーディングして
今後は、母と子の関係性で悩む人たちをを数秘のリーディングで癒すこと
ができるのではないかと感じています。

 

 

reported by Izumi Matsunaga