「ニッポン一億総活躍プラン」アベノミクス三本の矢を総括せずに「新三本の矢」を放つ愚 |  政治・政策を考えるヒント!

 政治・政策を考えるヒント!

   政策コンサルタント 室伏謙一  (公式ブログ)

 9月25日、8ヶ月という長きにわたった第189回通常国会が閉会した。最終日には会期末処理と言われる、法案の継続審議等の手続が行われ、審議が行われることはないが、それに先立つ24日、安倍総理は自民党総裁としての再任が決定したその日、記者会見を行い、「ニッポン一億総活躍プラン」なるものを発表した。

 その中身は、50年後も人口1億人を維持するため、誰もが家庭でも、地域でも、職場でも活躍できる社会を作るというもので、「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」及び「安心につながる社会保障」という新三本の矢によって構成されている。

 第一の矢である強い経済とは、戦後最大の経済を目指すとして、GDP600兆円を目標値として掲げている。また地方創生の本格化も掲げられている。第二の矢である子育て支援は、待機児童ゼロや幼児教育の無料化、不妊治療の支援等を通じて希望出生率1.8の実現を目指すとしている。第三の矢である社会保障は、介護離職ゼロと生涯現役社会の実現を目指し、予防医療への重点化や健康投資・健康経営を促進させるとしている。

 さて、このプランが目指す「一億総活躍社会」、その名称からは戦前の「一億総○○」を彷彿とさせるが、それ以前に、言語明瞭意味不明と評したくなる。よく解釈して、社会的包摂が高く、バリアフリーな社会ということであれば、総論としてはいいとしても、具体策が全く見えない。安倍総理の会見の中では、幾つかの措置が例として挙げられてはいるが、それらのほとんどは従前から政府が実施すべき措置として閣議決定や○○本部決定等の政府の文書に盛り込まれてきたものである。つまり包装紙を代えて包み直しただけであって、何ら新規性はない。言い方を変えれば、これまで実施してこなかったか不十分であったか、成果が出ていないか、そのいずれかということであろう。そうした意味において、具体策が見えないと評しているのであるが、さて、これから先、安倍政権はもっと有効で実効性のある施策を打ち出すことができるのだろうか。(想定される措置としては、経産省等が重点政策を概算要求と併せて発表していおり、その中に組み込まれているとも考えたが、それらには「総活躍」と関連付けられるような措置は見られなかった。)

 誰もが様々な場所で活躍できるという、ある種多様性が実現した社会をより進めていくということであれば、「一億総○○」のように、一種全体主義的なスローガンではむしろ逆効果のように思えるが、如何。

 さて、「新三本の矢」を一つ一つ検証していくと、まず、強い経済、GDPを600兆円にすることを目標にしているが、目標年度が示されていない。これはいつまでにということなのだろうか? 490兆円から600兆円への引き上げを向こう一年で実現するのは不可能であることぐらい、少し考えなくても分かるが、おそらく名目で年率4%で毎年成長して2020年辺りに達成するということなのだろう。もっとも、政権奪還後掲げていた名目成長率年4%が未だに達成できていないどころか、現状で、実質でマイナス、名目でも1.6%というのが実態であり、それが続くと考えたとして、当然のことながら2020年辺りでの実現は不可能だろう。何のためにこんな夢物語を大見得を切って紡ぎだすのか、理解に苦しまざるを得ない。

 次に、子育て、これについては総論としてはいいと思うが、目標として「希望出生率」という摩訶不思議なものが出てくる。これは、国民の希望が叶った場合の出生率ということのようで、日本創生会議が提唱しているものである。(国民の希望が叶った場合という前提自体、何をもって国民の希望が叶ったとするのか等、不可解な点が多く、そのようなものを指標として用いるのはいかがなものか。)単に合計特殊出生率でいいと思うのだが、この概念を持ってきている背景としては、合計特殊出生率を上げることは困難であるということがあるのだろうか。

 そして、社会保障、こちらについても介護離職ゼロや予防医療へのシフトといった点では、総論としては問題ない。国民が健康をより重視し、治療から予防にシフトすることで医療費を抑制する、まさに平成17年の医療制度改革大綱で示された方向性である。これは大いに推進すべきであると考えられるが、やはり具体策に乏しい。平成17年以降、健康サービス産業の創出等、治療から予防への流れは緩やかになったものの脈々と続いてきているが、決め手となるような政策は未だ打ち出されていないように思う。そのような中で、予防予防と言われても、「予防」や「総活躍」と称して、実は社会保障給付を減らしたいだけなのではないかと邪推したくなる。

 つまるところ、海のものとも山のものともつかないシロモノと評するのが妥当といったところか。

 しかしそれ以前の問題として、そもそも論から言えば、アベノミクス三本の矢、すなわち、大胆な金融緩和、機動的な財政政策、そして成長戦略の評価、総括、評価が行われていない。政府・与党は、アベノミクスは効果があったと言い、多くの国民もなんとなくそのような気になっているようであるが、果たして本当にそうなのであろうか。安倍政権下における経済成長、成長率への寄与が大きいのは公的資本形成、つまり公共事業である。機動的な財政政策といっても、要は公共事業の大盤振る舞いであり、それは資材価格や工事関係の人件費の高騰を招いている。成長戦略は中途半端というより、何か実施されたのだろうか?唯一大規模な金融緩和だけは効果があったと言いたいところであるが、果たしてどうなのだろうか。少なくともこれ以上同規模の金融緩和を続けていく必要があるのか、検証は必要であろう。

 そうした検証すら行われないまま、アベノミクスが成果を上げているという勝手な前提を作った上で「新三本の矢」とは、愚かと言う以外、何と言おうか。成果を上げているのであればそれを引き延ばす、維持する、成果が上がらないもの、失敗したものがあれば、その理由を明確にしてその措置を止めるか、改めるか、必要なものを補うか、そういった対応をするのが常道であると思うが。

 新三本の矢を全否定はしないが、連続性も継続性もない「矢」など、どこへ飛んでいくかわからないし、どこかに落ちてまた放ったらかしにされるのであれば、50年先を見据えた国づくりなど実現できまい。