「おおさか維新の会」結党を見るヒント!—維新の党結党の経緯と不毛な「偽物」論争 |  政治・政策を考えるヒント!

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   政策コンサルタント 室伏謙一  (公式ブログ)

 10月1日、橋下大阪市長ら維新の党離党組による国政政党「おおさか維新の会」が結党された。国会閉会後の永田町では、与党は内閣改造で頭がいっぱい(もちろん税制改革等の重要課題に関する議論は進められているが、あえて言うのであれば)、野党は共産党による野党結集の呼びかけを受けて、一部からは反対論も出ているが、小異を捨てて大同に就くと言わんばかりになんとなくまとまりが出来つつあるようだ。

 そんな野党の一翼を担うはずの維新の党、山形市長選をめぐる柿沢幹事長(当時)の対応を奇貨とするかのように、松井大阪府知事らが反旗を翻して離党、遂にここに至ったというのは、既にご承知のとおりで、要すれば、分裂劇真っ只中である。もっとも、分裂といっても単に一つのものを二つにするという単純なものではなく、何名の国会議員をおおさか維新側に引き込むのかという議員の奪い合いから始まって、分党か分派かをめぐる維新の党とおおさか維新の争い(つまるところ政党交付金の分捕り合戦のようなのだが)にまで至って、報道によれば現状でまだ膠着状態のようである。

 そんな中、おおさか維新の暫定代表に就任した橋下大阪市長が、結党会見において、分裂後も「維新」を党名に使用する維新の党を「偽物」呼ばわりした挙句に、分党に応じない維新の党執行部を「金にがめつい」とこき下ろしたことで、維新の党とおおさか維新の会の亀裂がさらに深まったようである。

 「維新」という言葉を党名に先に使用したのは確かに橋下氏の方であり、分党に応じないのは維新の党が政党交付金をまるまる欲しいからだという趣旨のことを言われてしまうと、一見橋下氏の方が正しいように見えてしまうというか思えてしまうかもしれない。しかし、本当に確信をもってそう言えるのだろうか?

 そこで、これを考えるために、維新の党の結党の経緯を少し見てみたい。維新の党は、特定秘密保護法への対応を巡る党内対立の末にみんなの党から離党した議員らが結党した結いの党と、次世代の党と日本維新の会に分裂後の日本維新の会が平成26年8月に合併してできた党である。形式上は対等の合併であったが、日本維新の会の方が議員数において上回っていったため、日本維新の会側が、合併の前段としての統一会派結成以降、あらゆることを多数決で決めることを強硬に主張したと聞いている。党名に「維新」のふた文字を頂くこととなったのも、多数決を背景に強硬に押し切る日本維新、特に大阪方に対して譲歩した結果ということのようである。

 つまり、党名に「維新」を使用しているのは、大阪方の強硬な主張と数の力で決めたものであるということである。したがって、離党したからやっぱり使うなというのはどう考えても理屈に合わない。使うなというのであれば、離党する前に党名の変更を党として決定しておけばよかったのではないか。(もっとも、もう数の力でどうにかなる状況にはなかったが。)

 次に、もっと根本的な政党としての性格や目指すところで考えてみたい。党の憲法とも言うべき綱領には次のとおり記載されている。

「保守VSリベラル」を超えて改革勢力を結集する
 日本再生のため、維新の党は、我が国が抱える根源的な問題の解決に取り組む。「保守VSリベラル」を超えた政治を目標とするが、それは、内政、外交ともに、政策ごとにイデオロギーではなく国益と国民本位に合理的に判断することにより可能となる。課題を次世代に先送りせず、将来に向けた持続可能な制度・仕組みを構築する。
 そのために維新の党は、政治理念や基本政策の一致を前提に、改革勢力を結集し、政権担当可能な一大勢力の形成を目指す。
(下線は筆者)

 党綱領からすれば、本物の維新の党とはまさにこの性格を有する党であるはずであり、改革勢力の結集と政権担当可能な一大勢力の形成を目指すのであれば、そもそも大義なき離党や分裂などありえないはずなのではないか。(むしろ党綱領に反することになるのではないか。)

 ここで「大義なき」と書いたが、今回の離党と新党の結党の理由はなんとも釈然としない。中央集権国家を地方分権の国に変えようという会見における発言も、維新の党の綱領に記載されている「官治・集権」から「自治・分権」といった考え方そのものであり、新党など結党しなくとも現在の維新の党を強化・充実させることで更に実現に近づけることができるはずなのではないか。

 維新の党が民主党と丸ごとくっつくならば改革を放棄したと見なさざるをえないと橋下氏は言う。しかし、民主党とまるごとくっつくなどとは誰も言っていないし、民主党と合流したら改革ができなくなるというのは極論過ぎはしないか。他にも指摘できる点はいくつもあるが、どうも離党と新党結党の根拠の弱さを極論によって煙に巻いているようにしか見えない。

 そう考えてくれば、「偽物」、「本物」論で言えばどちらがどちらなのか自ずと明らかになるのではないか。そもそも「偽物」、「本物」という単純な二元論で語ろうとすること自体不毛であるが。

 それから、お金の話。一度固まった党の決定を外野で批判して党の品位を傷つけ、勝手に離党しておいて、新党を作るから金をよこせとは、本末転倒も甚だしい話である。「金にがめつい」とはどちらのことか、火を見るよりも明らかであろう。比較対象の好例として、みんなの党離党組は、先に追放された柿沢氏を含めて15名に達したが、政党交付金をよこせなどとは一言も言わなかったと聞いている。彼らが結成した結いの党は、みんなの党の結党の精神を受け継ぎ、みんなの党は結党の精神を忘れてブレていったが、みんなの党を偽物呼ばわりしたのを聞いたことがない。

 今回の「おおさか維新の会」の結党、そして維新の党の分裂を巡る騒動、さて読者の皆さんはどうご覧になるか?