ついに15年になってしまった。
ブログというか、WEBにログを残すという意味では、本当はもっと長くて、お絵描きBBSやしぃペインター、CGI日記なんかもやっていたので、20年くらいはやっています。
今だから言えるけど、20年くらい昔は、メルマガ配信なんかもやっとったんですよ。オタクだからね⭐︎
自分でつくったサイト(オルソガット)も開設して15年になります。
時が経つの、早すぎるやろ.....〆((゚д゚)))
ただ、ブログ歴なんかを誇っても、だから何?というカンジだとも思ってる。
チマチマとブログを15年間やってきたコトよりも、40年近く家事を毎日続けてきたオカンや、40年以上満員電車に揺られる日々を続けてきたオトンの方が、よっぽど凄い。偉い。
その一方で、コレは現存しているからこそのメリットでもあるのだけれど、15年間現存して継続して記録してきたからこそ、過去の自分の考えや出来事を見直すコトが出来るというのは、とても大きなメリットだと思っている。
まだ20歳になったばかりの自分の感想や記録がいつでもどこでも読めるから、そういう情報から「自分の芯や根っこ」を見つけて、判断の材料にするコトが今もたまにあります。
なので、たまにブログ歴ウン年を経歴として箔をつける方をお見かけするけれど、現存していなければ何とでも言えるし、継続しているからこそ見えるものもあるので、それは少しもったいないかなあとも思う。
記憶と記録は、やっぱり違う。
それは振り返るコトが出来る「史」のみが持てる力だと思う。
コレはもう、何度も何度も言っているのだけれど、このブログは「記録用」です。
誰かに読ませるためのものではない。
「発信」だとか、「自己実現」やら「自己PR」やら、そんな大層なものでは決してない。
強いてペルソナを挙げるなら、「未来の自分」がターゲットで、それ以上でも以下でもない。
それは15年間、一切ブレていない。
ソコがブレなかったからこそ、15年も続いていると思う。
もしもそれ以外の目的だったら、その目的をある程度達成した時点で飽きて辞めてしまっていた。
大昔に、父の人が「日記を公開する意味が理解できない」なんてコトを言っていたのだけれど、このブログはプライベートすぎる日記でもないとも思っている。
ペルソナが自分だから何でもかんでも好きに書いているかと言うと、「ネットにあげる以上、誰に読まれても困らないもの」しか書かない。
もっと言うなら、オフラインであろうと、「活字にする以上、誰に読まれても聞かれても困らないもの」しか書かない。
頭の中で考えている内容は誰にも読むコトは出来ないけれど、仮にノートに書くような日記であっても、それを一度文章にしてしまえば消すコトが出来ないものとなる。
ましてやその文章をデジタル化した時点で、いつ誰の目に触れても不思議ではない。
鍵付きだとか、アメンバー限定とか、公開範囲を絞ろうとも、オフラインであろうとも、匿名であろうとも、デジタルで残した時点で、世界中の誰もに読まれる可能性がゼロではないし、自分の意思で消すコトは出来ない。
ましてやこれから5G、6Gの世界になっていくのだから、技術的には全く不可能ではない。
だからこそ、個人のブログだからって好き勝手に書いてよいものではない。
自分の発言の責任を持てる範囲内での「記録」。
そういう場所。
ここ1年ちょっとは、書くペースがかなり落ちました。
記録の重要性を理解しながらも、情報収集に時間を割く方に重きを置いてきているのもあるのかな、と。
あと、単純に「書く」ための体力不足。
しごとでも「発信」「記録」を毎日続けているので、さらに「書く」のは食傷気味なトコロがあったりなかったり。
15年もやっていると、過去の記録から時代の流れを改めて知るコトがあって、それも面白い。
当時はスマホの存在なんて想像すら出来なかった時代。
文明の発達スピード、すごいよねえええ。
次の15年は、どうなっているんだろう。
そして15年後、2020年の今の記録を見返したら、どう感じるんだろう。
そういう楽しみを、このブログには求めています。
この面白さは、3年や5年のブログ歴ではまだまだ味わえないコトを私は知っている。
そしてそれは、ブログ歴だけではなくて、「同じブログを継続しているから」であるというコトも、私は知っている。
「ブログ」は、そもそも「ウェブログ」の略。
ログを残せば残すほど、それが長ければ長いほど、面白い。
だから、サービスもしくは私の人生が終了するその時まで、きっと続けているのだろうと思います。
数年後、自分にとってもっと面白くなるだろうのが、今から楽しみです。