語録56 | パーサによるトマスの福音書

パーサによるトマスの福音書

Closing the Circle: Pursah's Gospel of Thomas and a Course in Miracles

「神の使者」、「不死というあなたの現実」で再生された、トマスの福音書について書かれた「Closing the Circle」の和訳です。

野口博和さんから以前頂いてた、和訳をアップしています。

 語録56

この世界を理解した者は誰でもただ屍を見出しただけであり、屍を発見した者にはこの世界はもはやふさわしくない。

Whoever has come to understand this world has found merely a corpse, and whoever has discovered the corpse, of that one the world is no longer worthy.


ナグ・ハマディ版とのある重要な違いは、パーサが慎重に、世界に関して、「知る “know”」という言葉を使うのを避けていることである。それは明らかに、コースの言葉遣いにおいてと、もともと「グノーシス」という概念で表わされていたように、伝統においての、その言葉の持つ特別な意味のためである。このことは、この言葉と語録40に関する彼女の意見に、密接に関連している。
コースによれば、「理解 “understanding”」という言葉は、表面的な知的把握を超えて、私たちを確実に真に「知ること」へと導く、内なる経験的理解につながるものではあるが、その言葉を使うのは、いくぶん軽めである。

 残りについては、この言葉は、まったく、コースの
「この世界は、神に対する攻撃として作られた。」
“The world was made as an attack on God.” (W‐pⅡ.3.2:1)
という考えと一致しており、また、磔や、
「愛でないものは殺害である。」 “What is not love is murder.” (T‐23.Ⅳ.1:10)
という考えも表現している。

いくらかふざけた感じで、イエスは皮肉っぽく、この世界はもはや私たちにはふさわしくない、と言う。なぜなら、私たちは今や、それが無であることを知り、それゆえ、自然に、それをあるがままに見ることができるからである。この同じ考え―この世界は私たちにはふさわしくない―は、コースのここでも取り上げられている。:

あなたが自分の価値を疑う時はいつでも、こう言ってみなさい。:

 神御自身は私がいなければ完全ではない。

自我が話し出すときはこのことを思い出しなさい、そうすれば、あなたはそれを聞くことがないだろう。あなたについての真実はあまりに崇高なので、神に相応しくないものはあなたに相応しくない。それゆえ、これらの観点によりあなたが望むものを選びなさい、そして、あなたが神に完全に相応しいとして捧げようと思わないものは、受け取らないようにしなさい。そのほかのすべてをあなたは望んでいないのである。あなたのものを神に返しなさい、そうすれば神は、自らのものであり、自らを完全ならしめるものを返還してくれた代わりに、自分自身のすべてをあなたに与えるだろう。

Whenever you question your value, say:

 God Himself is incomplete without me.

Remember this when the ego speaks, and you will not hear it. The truth about you is so lofty that nothing unworthy of God is worthy of you. Choose, then, what you want in these terms, and accept nothing that you would not offer to God as wholly fitting for Him. You do not want anything else. Return your part to Him, and He will give you all of Himself in exchange for the return of what belongs to Him and renders Him complete.
(T-9.Ⅶ.8)

(野口博和訳)