ツイッター・公式ブログ・FCブログではお知らせさせていただきましたが、改めて書かせていただきます。
4月15日、母が永眠しました。
4月14日に救急搬送され入院をし、小脳梗塞と診断を受け、当初に担当医の方とお話をした際には、2〜3週間薬を投与し、様子を見て、それでも治らないようであれば手術をすると説明を受け、今の情勢もあり、面会も出来ないとのことだったので、最後に母に「ちゃんと治してもらってね」と伝え、母はこの日が誕生日だったので、「ケーキが冷蔵庫にあるから腐ってしまうからみんなで食べて」なんて話をし、別れました。
次の日の15日、お昼すぎに自分の病院に向かっていた所、病院から電話が連絡があり「すぐに来て欲しい」とのことですぐに母の病院へ向かい、着いた時にはもう自分の力では心臓が動いていないとのことでした。
全てを悟り、私の下の兄弟、長男にあたる弟が到着するまで頑張ってもらいましたが、持病があったので、これ以上母を苦しませたくないと思い、大丈夫ですと伝えました。
叫び続ける兄弟たちの声や、あの光景はきっと、これから先一生、忘れることは出来ないと思います。
と、同時に兄弟たちは私が守っていかなきゃいけないんだ、と強く思いました。
母は、女手一つで兄弟5人を育ててくれました。
母との思い出を思い返すと、数えきれないほどあって、たくさん心配や、迷惑をかけてしまったし、どんな時でも一番の味方であり、一番の支えでした。
あの日から、まだ時間が止まっているようで、嘘だと思いたい自分がいます。
まさかこんな形で母と別れる事になるなんて思ってもみませんでした。
母の遺品を整理すると、スケジュール帳の中から13周年おめでとうの手紙が青色の封筒で入っていて、15年・20年と自分のペースで走っていって、いつまでも輝いていてね、応援してるよと書いてありました。
活動を始めた当初は、一人で電車も乗れなかったので、いつも母とライブハウスに行っていました。遠い所まで着いてきてくれました。
ワンマンライブにはいつも来てくれました。
生誕ライブや、13周年のライブも見に行きたいって言ってくれていました。
データフォルダには、ライブの映像がたくさんたくさん残されていました。
私は、ママに何かしていてあげられていたかな。
自慢の娘でいられたかな?
28年間、たくさんの愛をママから貰いました。
活動を始めてから、決して順風満帆にいくわけではなくて、心配もかけちゃって、辛いなら辞めていいんだよ無理しなくていいんだよって言ってくれました。
いっぱい喧嘩もしたけど、今では全部いい思い出です。
これからは、兄弟で力を合わせて精一杯生きます。
兄弟がいてくれて本当によかったと心から思います。
きっと、いや絶対。
天国でママは見守ってくれています。
明日の25日の日曜日、池袋オンリーユーさんにて行われるはなここ無料ワンマンライブで復帰とさせていただきますので、お時間ありましたらぜひ、お待ちしております。