多文化共生社会実現って日本にとって必要なの? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 子供を熱心に英会話教室や英語の塾に行かせている親の多くは、自分が英会話ができないから子供にはしゃべることができるようにさせてあげたいという人がとても多かった気がします。

 

 親自体が英語ができる人は、そういうものよりも日本の文化や習慣や歴史を子供に教える人が多いようにも思っています。

 

 もちろん人によって考え方が違うのですが、英語を普通にしゃべっていると「どうしゃべるか」よりも「何をしゃべるか」の方が重要だと思えてくるからです。

 

 そのステージ立たないと見えない景色があって、日本語がいかに綺麗にしゃべることができても、しゃべる内容がなければ教養人と言えないのと一緒です。アメリカに行けば、なかなか聞き取れませんでしたが、下町の黒人も英語らしきものをしゃべっていました。

 

 1976年、19歳の時にアメリカ一人旅をしたときに、行くまでは英語をどうしゃべるか、どう聞くかを集中して学んでいたのですが、行くとそれは当たり前、アメリカ人が聞いてくる日本文化についての知識がほぼないという状態にとても恥ずかしい思いをしたのです。

 

 大学を卒業して、営業の世界に入り、もっぱら日本語を磨いてきたので、英語は趣味のレベルを超えませんが、知識とポイントはわかるので、日本の文化を外国の人に伝えることは上手だと思っています。わたしより英語のうまい人でも日本の文化を理解していないために、言葉を結晶化できずにまた相手の文化、特にキリスト教文化に翻訳できないので、伝わらないのです。

 

 「なぜ日本には八百万というほどたくさんの神様がいるのか?」と聞かれたらどう答えますか?

 

 それも英語で。

 

 まずはこの八百万(やおよろず)の神々を「エイトミリオンゴッズ」と訳した時点でアウトですね。これはすべての物に神が宿る、神=命(みこと)=いのちであることの概念をわからせることが重要です。つまりすべての物には生まれてきた意味があるといえば、ある程度教養のある人ならここでわかります。

 

 さらにその意味(神の御意志)を理解し、そのためにその命をどう使うかが重要なのだ。すべては神の御意志に沿うためのものであると説明すればわかってくれると思います。

 

 「だから神の御意志に反するような使い方をするときに、私たち日本人は「もったいない」と表現するのです。」というと横にいる日本人がびっくりして納得してくれます。

 

 これを解説するのが面倒だという人は、もっと簡単に「キリスト教でも「神と子と精霊」があるじゃないか、これらは別なものなのか?」と聞くと「いいや、いっしょだ」と答えます。そしたらすかさず「その数が増えただけだよ」というと妙に納得してくれます。

 

 それを一言で言うと「三位一体(Trinity)」と一緒だと言えば、わかると思います。

 

 えっ、それがわからない人にはどうしたらいいの?と言われそうですが、三位一体もわからない人は最初の質問はしてきませんよ。

 

 長々と説明してきたのは、日本という独自の文化と歴史を持つ国がどうして他の文化や歴史を際限なく取り込まねばならないのか?という大きな疑問を持っているからです。

 

 外国人が日本に来て驚くのはその文化の違いです。そして清潔さ、人々の正直さ、そして歴史の深さです。大都会東京ではなかなか味わえないものが地方にあるとわかって、以前は東京、京都が定番でしたが、それ以外の地方にも多くの外国人が異文化を体験しに来ています。

 

 そんな時に、全く自分たちが住んでいるところと変わらない風景や景観を見てはるばる日本まで来るでしょうか?

 

 日本は治安が良く、落とした財布がそのまま戻ってくると聞いていたのに、置き引きにあうは、財布は戻ってこなければ、もうそこは日本の良さが無くなっているのではないでしょうか。

 

 博多には名物の屋台があります。そこで提供されるのは定番の博多ラーメンだけではなく、おでん、豚足、イタリアン、フレンチ等々博多の文化の中に異文化を融合させて独自の色を出している屋台がたくさんあり、観光客にも大人気です。

 

 そこにはちゃんとルールがあって、出店するのは5時以降(たぶん)で決して生ものは出さない、だから明太子を頼むと焼き明太子が出てきます。そして営業終了後には屋台ごと移動し、店があった場所をきれいに掃除をして元の街並みに戻すのです。

 

 そのルールから逸脱すると営業許可を取り上げられるのですが、その前に屋台の仲間からそこに注意をします。なぜなら、その店だけでなく、その付近で出店している屋台にもとばっちりが来るからです。

 

 そうやって自治の精神がとてもよく働いているので、博多の人々も大好きです。以前は勤めていた明治生命ビルの真下に行きつけの屋台があり、そこで豚足を食べて帰っていたものです。

 

 福岡・博多という町は、昔から海外からの玄関口としてたくさんの異文化が流入してきた街です。そしてそこでいいものだけが日本各地に出回るのです。

 

 だから異文化が入ってきて、もともとあった文化と触れ合って、独自の文化が醸成されていくということをしてきたところです。大陸にも半島にも近いので、たくさんの人が福岡に来てすんでいます。

 

 その人たちが自分たちの文化や習慣を強く主張していたら、大きな摩擦になっていたでしょう。でも、彼らの多くはできるだけ福岡に同化しようと努力してきたので、在日と言ってさほど違和感を持たないのです。だって普通に友達がいますから。

 

 こういうのが多文化共生社会だったら、今あえて声高に言わなくても昔からしてきていることですよね。

 

 でも、その人たちの習俗・伝統などを日本に持ち込み、それを当たり前のように主張されるととても違和感、ことによっては嫌悪感が起こると思います。

 

 最初に書いたように、異文化の人たちと接した経験のない人たちが異文化を取り入れなければならないと言っているのでしょうか?

 

 それともこんなに素晴らしい日本文化を破壊するために行っているのでしょうか?

 

 最近、どうしても後者のように思えてならないのです。

 

 よそ者がその土地で済みやすい環境を作るためのコツは一つです。

 

 「郷に入っては郷に従え」です。

 

 英語でも”When in Rome, do as the Romans do.”(ローマに行ったらローマ人のようにふるまいなさい)と言っています。

 

 東西の文化は違っても人間の叡智は同じなのです。

 

 こういう理由から岸田政権の移民政策は大反対です!