職業に貴賤はあるのか? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 お騒がせの売国奴知事の川勝平太静岡県知事が自身の発言により大騒動となり、6月で辞任の意向を示しました。

 

 しかし、この人以前にも報酬を返納すると言って議会が追及するまで何もしなかったという前例があり、ちゃんと辞めるまでは注意深く見守っていかなければなりません。

 

 この人の「県庁はシンクタンク。野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、皆さまは頭脳、知性の高い人たち」と新入県職員の訓示で発言した内容が大きな問題となりましたが、いかにもたとえが悪く、彼の頭の中、意識の中で序列が出来上がっていると言わざるを得ません。

 

 普段はマスコミがこうやって政治家を追い詰めるのは、愛国的言動の多い政治家が多かったのですが、今回は媚中で売国奴の川勝平太氏だったので、ちょっとびっくりしましたが、これもまだ日本は民主主義が時々機能するということが何とか証明されました。

 

 李氏朝鮮で国教として重用された朱子学では、ものを作る人ほど身分が低く、身分が高い人は考えるだけという歴然とした身分制度がありました。

 

 これはファンタジー歴史ドラマを見ても端々に出てきます。私はこう見えても韓国の歴史ドラマは結構見ている方なんです。そこで注目するのは時代背景や風俗や習慣を学び、その人たちがどんな思考回路を持っているかを分析することです。

 

 でも、イヨンエ(チャングムの誓いやサイムダンに主演の女優さん)やハンジミン(イサンでソンヨンを演じた女優さん)やハジウォン(奇皇后を演じた女優さん)らのファンです。この人たちは個性があり、あまりいじっていないのではないかと思っています。

 

 そのファンタジー歴史ドラマを見ていくと、両班と呼ばれる貴族階級は歩くことはもとより走ることなどしないのが普通とされ、体を動かす、体を使うことを卑しいものがすることのように描かれているのです。つまり言行不一致なのです。

 

 日本にも江戸時代に朱子学を学んだ新井白石らが朱子学を基本として政治(正徳の治)を行おうとしましたが、日本の風土には合わず、徳川吉宗が八代将軍の座に就くと失脚していきます。

 

 儒教は世の秩序を説き、戦国の下剋上の風潮を秩序ある身分制度を確立するために重用されるのですが、朝鮮と違って働くことは喜びであり、世の中ために役に立つことこそが人間が生きる喜びとする日本の風土とはどうしても合わなかったのです。

 

 幕末に登場する陽明学の「知行合一」という考えが日本人の思想と合い、代表的な例は西郷隆盛先生などが信奉されています。

 

 だから江戸時代に士農工商穢多非人という身分制度が確立しますが、これは李氏朝鮮の身分制度とは比べ物にならないくらいに緩やかで、武士以外の出自でも優秀な人材であれば「養子」という制度を使うとその人の身分を変更することができたのです。

 

 ただその時に基礎となったのが、識字率でした。ひらがな、カタカナから学べる日本語は時間はかかりますが、習得すると自分で学ぶことができるのです。漢文を読み解く「レ」点や法則などを編み出した先人たちに感謝です。それにより志が高い多くの人たちが学問を身に着け、教養を持ち、そして身分制度を打破できたのです。

 

 とてもいい例が勝海舟です。勝海舟のひい爺さんは越後の貧農の生まれで、目が見えませんでした。江戸時代はそういう人を保護するために目の見えない人しかできない仕事を決めていたのです。それが按摩と金貸しでした。

 

 勝海舟のひい爺さんは江戸に出てきて按摩を始めます。そして金貸しとして才覚を表し、大きな身代を築いていくのです。目の見えない人の最上位の位は「検校(けんぎょう)」という位で米山検校になります。検校は大名に対してお金を貸すことができる身分でした。

 

 ありあまるお金で御家人株の尾谷家の株を買い、その三男に旗本株を買い与え、勝小吉と名乗ります。その子供が勝海舟なのです。もし江戸時代が李氏朝鮮のようにがちがちの身分制度だったら、こういうことは起こりませんよね。それだけ日本という国は実力と運があれば幕府の高官まで出世することができたのです。

 

 勝海舟の弟子の坂本龍馬も、才谷家という豪商がルーツで、土佐の郷士株を与えられ、坂本家を起こします。郷士も白札郷士という藩士と同じような身分で才谷家の援助もあり、裕福な家で育っているのです。彼も李氏朝鮮なら武士の身分にもなれませんでした。

 

 こういう出自の似通っている勝と坂本は意気投合したと私は考えています。つまり既存の身分などに頓着せず、危急存亡の祖国のために出来るかを考えていたと思っております。

 

 身分制度にとらわれない考え方は、自分で限界を決めないことに繋がります。無限の可能性を秘めているのです。しかし、手元には何もありません。だからどう工夫をすればいいのかと一所懸命学問にはげみ、人の意見を聞き、いろんな人脈を作っていくのです。

 

 日本人としての矜持だけは持っているものの、自由な発想、新しいものへのあこがれ、そして新しい社会を築くための努力は惜しまなかったのです。だからいまでも日本国民に愛されているのです。

 

 前置きが無茶苦茶長くなりました。

 

 しかし、ここをきちんと押さえないと川勝氏の発言に対する皆さんが持ったであろう違和感を説明できないのです。

 

 つまりこの川勝平太という人は、中華思想に基づいた毛沢東思想に毒されているのだということがこの発言で露見したのです。

 

 日本がものづくり大国だと言えるのは、現場の職人さんを大切に扱ってきたからです。

 

 官営八幡製鉄所ができ、ドイツから輸入した最初の高炉は全くうまくいきませんでした。そのため野呂景義という技術者と現場の職人さんたちが高炉を点検しつつ、問題を見つけ、改良し、3回目の火入れでやっと設計通りの性能を出すことができたのです。

 

 日本は大量には良質の鉄を作る技術は持っていませんでしたが、少量なら高品質の鉄を作ることができたのです。野呂景義の西洋の技術の知識と日本の職人さんたちが協力し合うことにより、八幡製鉄所が不動の地位を築き、その後の日本の発展に大きく寄与するのです。

 

 現場で働く人を小ばかにするような川勝平太氏の発言は許すことができませんし、日本人の心情とは全く合いません。だから今回の辞任劇に繋がったと思います。

 

 ただ、リニアモーターカーは27年の開業には静岡県の川勝知事の妨害によってできなくなっています。川勝氏はこれにより宗主国の期待に応えたからもうやめていいと思ったのでしょうね。

 

 多くの静岡県民から「静岡の恥」という声が上がっているようです。遅いわ! 前回の選挙の時に落選させるべきだったでしょう。

 

 職業に貴賤はありません。でも私はその後に次の言葉を付け加えています。「その仕事に誇りを持っていたら」です。

 

 すべての職業があってこそこの社会が成り立っているということを忘れてはなりません。