ドラえもんの「のび太の地球交響楽」を観て感じたこと 多くの子供たちに是非見せたい | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 この土日は、孫1号3号4号が泊まりに来て、昨晩はほとんど眠れませんでした。子供は一人でも体温が高いので、暑くなるのですが、三人もいると普通に羽毛布団を着ているだけで汗が出てきます。そして子供たちはそれぞれが布団をけ飛ばすので、こちらが寒くなってトイレに行きたくなったり、いるはずの場所にいなかったりするので、慌てて飛び起き、電気をつけて確認したり、また怖い夢を見ているのか、突然泣き出したりするので、本当に疲れます。

 

 でも、その子たちを見守ることができることにとても幸福感を感じるので決して嫌いではありません。

 

 土曜日も二回目の福岡城の桜祭りに行ったりしたので、今日はかねてから行きたいと言われていたドラえもんを観に行きました。

 

 映画館でドラえもんを観たのは初めてかもしれません。プリキュアは4,5回行きましたが・・・。

 

 昨晩の疲れもあり、はじめと後半部分しか見ていないのですが、初めの伏線と後半が見事に合致し、思想的にもとても素晴らしいものと感じたので、ちょっとご紹介します。小学生くらいの子や孫を持つ方々はぜひ行かれた方がいいと思いますよ。

 

 出来の悪いのび太は学校の発表会の練習でどうしてもリコーダーがうまく弾けず、いつも変な音を出してみんなに笑われるのです。これが最後のクライマックスに繋がる伏線なのです。

 

 これだけ聞くと「ええー?!」とびっくりされるでしょうが、そうなんです。

 

 ネタバレしないように注意して書きますが、宇宙からの悪い勢力が地球から音楽というものをなくし、その結果滅びることになろうとするのです。音楽っていうものは、人を和まし、人と人との調和に必要なものだという認識が薄れてきているのが現実だと思います。

 

 私の子供ころの紅白歌合戦は、大みそかに家族が集ってみるものでしたが、高校生の時、大みそかもバイトでそれができなかったときは、家族との大切な時間を過ごせなかったという思いと、これで俺も一人前だと思う気持ちが半々でした。

 

 まあ、現代の紅白歌合戦は、どこの国の番組かわからなく成り果てていますから、見る気も置きませんが・・・。

 

 でも、日常ある音が突然無くなったら、つまり当たり前が当たり前でなくなったら、大変なことになるということを表していますね。これを子供にもわかるように表現してあるのです。

 

 途中は、昨晩の寝不足で意識が飛んでいたのでわかりませんが(失礼)、後半になると冴えた頭で作者のメッセージがどんどん入ってきました。

 

 変なウイルス、悪者のウイルスに感染してドラえもんが壊れかけるのです。それを救おうと音楽の力で治そうと太古の笛を求めて博物館に忍び込み、それを持ち出していつもの仲間で演奏するのですが、それぞれが主張しすぎてうまく調和つまりハーモニーになりません。それぞれがドラえもんを助けようとしすぎるのです。

 

 「それぞれの音が喧嘩している」というセリフが聞こえてきます。

 

 そしてそれぞれの仲間をけなし合うのです。そして一番下手なのび太のリコーダーを責めるのですが、その時、ダメなのび太が親友であるドラえもんを救おうと一所懸命なのが皆に伝わり、それぞれがそれぞれの音を尊重し合って素晴らしいハーモニーでドラえもんを助けるシーンにまずジーンときました。

 

 決して主張しあっている間はうまくいかないのです。でもお互いがお互いを尊重し合うようになるとそこに大調和ができ、1+1が2ではなく、10でも100でも大きくなるのです。

 

 日本って古来からこういう社会だったと思っております。それぞれが主張するのではなく、それぞれが尊重する社会のはずです。だから同じ価値観が2000年以上も続いてきているのです。そして世界でも稀有の文化を作り上げているのです。

 

 もう一つあります。古代の笛を吹いて悪者に対抗する装置を起動させようとするのですが、先っぽがかけているために、5つ中四つまでは起動するのですが、最後の5つ目が起動しないのです。

 

 その時に、のび太のみんなから笑われた音が五つ目の音だったのです。そして巨悪に立ち向かう装置が起動するのです。

 

 これは八百万の神々の思想と同じです。世の中には一つとして不要なものは存在せず、すべての物に神が宿り、その使命があるということです。

 

 その使命、つまり命の使い方を間違えると日本人は「もったいない」という言葉でその残念さを表現してきましたが、この言葉は外国語には翻訳できません。なぜならこの八百万の神々の概念が他の文化にはないからです。

 

 みんなの嘲笑の的だったのび太の素っ頓狂な音が世界を救うために必要な音だったということなのです。ここまでくるとこの映画を子供たちを観に来てよかったなと思えるのです。

 

 映画を「見る」のではなく「観る」のです。「見る」は目の前のものを見ることですが、「観る」は目に見えないものを見ることなのです。映画の作者の意図を画面を通じてどう観ていくかがポイントですが、残念ながらただ見るだけで終わってしまうつまらない映画も多々あります。

 

 しかし、ドラえもんのこの映画は観る価値が十分にある映画だと思います。ただ、大人が一人で観に行くにはちょっと抵抗があるので、子供を連れていく映画には最適だと思います。

 

 仲間を心から思う気持ちやっそのために危険を顧みずに行動する勇気や、そしてどんなものにも存在する理由や役割があることを語ってくれる映画ってとても素晴らしいものではないでしょうか。

 

 日本のアニメって世界から称賛されていますが、そういう深い心理が読み取れ、心から感動を呼ぶから評価されていると思います。

 

 こういう映画を観て大きくなった子供たちがいるということは日本もまだまだ捨てたもんじゃないなと思いました。