日記「今日見た映画 2020」37『ホドロフスキーのサイコマジック』 | やりすぎ限界映画入門

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■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ホドロフスキーのサイコマジック』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2019年/フランス映画/104分
監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー/アルチュール・アッシュ

■2020年 劇場公開作品 37本目






「超危険」。





実は記事が書けなくて、『ホドロフスキーのサイコマジック』を「数回」見た。今も「迷い」がある。確かに「やりすぎ限界映画」であるが、「鶏自身」このセラピーを受けたいか? と聞かれたら「絶対受けたくない」。

自分自身が受けたくない「超危険セラピー」は☆☆☆★★[70]にも感じる。



■「精神分析学は神経科医
  フロイトが生み出し
  その根本は科学である
  サイコマジックは
  映画監督で演出家の
  A・ホドロフスキーが
  生み出した
  その根本は芸術である
  精神分析は言葉を介した
  セラピーであり
  サイコマジックは行動を
  介したセラピーだ
  精神分析は患者に
  触れることを禁じるが
  サイコマジックは相談者に
  触れることを推奨する
  この言葉を超越した
  癒し方に
  私が目覚めたのは50年前
  マッサージの形で
  始まった」



「超危険」「やりすぎ限界ドキュメンタリー映画」。



「所詮」完全 “本物” の「アル中」+「酔っ払ってた」「寝ぼけてた」「体調が悪かった」+「超てきとう」「超不真面目」「超いい加減」な「鶏程度の脳みそ」でしか生きてなかったから、「今頃」になって「最近」「やっと」、『リアリティのダンス』とか『ホドロフスキーのDUNE』とか『エンドレス・ポエトリー』とか、「アレハンドロ・ホドロフスキー監督」の映画を「やっと」「ちゃんと」見るようになったが、それより前の映画は「今」なおサボって「逃げた」まま。



この「超危険」「やりすぎ限界ドキュメンタリー映画」『ホドロフスキーのサイコマジック』は、『リアリティのダンス』とか『エンドレス・ポエトリー』とかを含む過去「アレハンドロ・ホドロフスキー監督」の映画「全作品」が、「超危険セラピー」「サイコマジック」の「導入」「表現」だったことを見せる。

つまり「アレハンドロ・ホドロフスキー監督」「全映画」「全作品」が、実は「サイコマジック」だった「真実」「秘密」。



「まさに現代の魔術師!観ているこちらが魔法にかけられた気分」だったり、「どんなに惨めな人生をしいられても、その底の底の頂点に愛は存在することを、ホドロフスキーさんのハグとメイクラブで力強くみせつけられてみてください」だったり、「コメント」されるだけのセラピーなのは「感じた」。



だが自称「シスジェンダー」「鶏」は男が「人一倍」「超苦手」。「女と男が全裸で抱き合う」のもすでに「超危険」だが、「男同士が全裸で抱き合う」「超危険セラピー」内容には「絶対超抵抗」あり。



「男同士が全裸で抱き合う」なんて、「鶏」は「全人生」「全生涯」において「絶対超NG」。



「新作『ホドロフスキーのサイコマジック』は、彼のカルトな作品のなかでも、とくにわれわれを戸惑わせる問題作だった」



「鶏」も今回は「こっち側」意見に「共感」。



だが「アレハンドロ・ホドロフスキー監督」が「超いい人」なのは「感じた」。





この「超危険セラピー」「サイコマジック」が「危険」か「危険じゃない」かは、もはや見る者の判断に委ねられる。

「刺激」「かなり」「強め」。「刺激が強いの」ほしい人向け。







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画像 2024年 4月