”排斥された事を例えると” | AB型ダースのまったり自由帳

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気まぐれ更新ですが、ポツポツ綴っています。

コメントが長くなりそうだったのでリブログさせてもらいました。


本当に排斥なんてひどい制度です。

排斥された姉妹を1人知ってます。
私も子供ながらに、母に「あの姉妹は無視しなきゃいけないのよ」と突然言われ、無視なんてできなくてコッソリその姉妹にちょっぴり笑いかけた過去を思い出します。

その姉妹は排斥されたそうで、お母さん姉妹が熱心だったから一時的戻ろうとしたのかも。少しの間だけ集会にいらしてました。その時のみんなが避ける様子はやっぱり異常で、なんで?って気持ちでいっぱいでした。当時は私、小学生だったけどあの光景は忘れられません。





母がJW。私もJWの活動に幼児期から高校2年の途中まで、参加していました。途中からは、嫌になってたので強制参加でしたが( ´∀`)。トホホ


だって、嫌がったら「集会行かないとご飯ないから」って言われてたし。辞めたらコロされてしまうと本気で思ってたよ。


もうJW辞める!と母に殴られながら宣言した高校2年中盤?から、卒業して就職と同時に家を出るまで、母には無視されていました。
(この頃の無視は、母がJWを辞める私を許せないという自分の感情からのものだったかも。)



まるで、夫婦間の家庭内別居してる夫婦みたいだったな。何の説明もなく、洗濯もしてくれなくなって、ご飯も一緒に食べなくなってたなぁ。


二階建ての実家。
一階のリビングはご飯の時だけしか行けなくなった。私が降りると母が二階へドスドスと怒りのこもった足音で階段を上がる。


二階の子供部屋は北側で薄暗く湿っぽい。嫌だった〜あの部屋。かといって、高校からはすぐに帰らなきゃ怒られるし。家にいるのが苦痛って、最悪なんだよね。



家にいれば階段をドスドスとすごい足音で上り下りする母に「金食い虫!早く出てけ!」と怒鳴られ。(顔は合わせてない状態で聞こえよがしに言うのがまた嫌よね)



そんな一年半がとんでもなく辛くもあり、自分のこの先の人生を、始めて自分の頭で考えた時でもありました。



ただ、親に無視されるっていう事がとてもとても辛かった。そんなひどい事できるなんてって、母の事もひどい人だと思ってしまう。



今は旦那と子供達、自分の家族を持って毎日とても幸せを感じてる。


でも、無視された事や無視されてる事は、(母とは一時的に仲良くなった時期もあったけど今はまた忌避されてる状態です)確実に心を傷つけてる。今でも。だから時々こういう気持ちが溢れ出してしまうんだ。



やっぱり私には、JWにはいい思い出ないや。それでもいい。思えなくてもいい。そう思う。
だって、友達いなかったし、楽しくなかったから。ただただ苦痛で、その場にいなきゃいけないのが嫌だったから、拷問だった。



野球見に行って、大会を思い出してしまって野球に集中できない。あのザワザワ感。応援の歓声が賛美の歌を思い出させたり。(当時は歌う時の発声の仕方が分からず、めっちゃ声が小さかったので大きな声で歌えといつも母に言われてたのでなんかトラウマになってるみたい)
こんな後遺症もあるのかと気づいた今年の夏でした〜Σ( ̄。 ̄ノ)。