ググるな危険! (または2022年 最後のあいさつ) | 天然石ジュエリーのCanecryのブログ

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ハンドメイド天然石ジュエリーの作家、ロミのブログです



Google。わたくしが言うまでもなく、世界シェアナンバーワンの検索エンジンだ。

inputボックスに気になるワードを入力して、enterキーをターーーンッ!と叩けばアラ不思議、インターネット上のそのワードに関連する情報がいっぱい出てきてなんでも解っちゃうよ!wow!すごいわねボブ!どうだい便利だろ?ステファニー!ってなもんである。

うむ。確かに便利なことこの上ない。人類の情報格差を一掃し、画一的な情報のもとに愛と平和と平等な社会を実現するに足りる、画期的なツールであるといえるだろう。当然ながら、わたくしも大変お世話になっている。

しかし!しかしである!そのGoogle先生にも重大な欠陥があるのだ。

人生における楽しみのひとつである ”謎” の数が減るのである。


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ここでいう ”謎” とは、なんかよくわからんけど、なんとな~~~く興味があって知ってるようだけど、やっぱりよくわからんモノ、コトを示す。

日常のちょっとしたミステリー。ちょっとした知らないこと。そういうものを全部Google先生におうかがいを立てて謎が解けてしまうと、途端につまらなくなるのだ。折角の興味を失ってしまう。

例えば、『ばんそうこう』である。ちょっとしたケガなんかをしたときに、傷口にペタッと貼るアレだ。

だいたい、名前からしてよくわからない。どこで区切ればいいのだろうか?『ばん・そうこう』なのか、『ばんそ・うこう』なのか、『ば・んそうこう』なのか。

『こう』はおそらく膏薬の『こう』であろうから、『ばんそう・こう』であろう。しかし、そうなってくると、今度は『ばんそう』の謎が浮かび上がってくる。ばんそうってなんだ~!ばんそうて!そんな言葉、きいたこともないではないか。誰かぁ~~~!知ってる人いますかぁ~! と、群衆の中で叫びたくなるほどの謎なのである。

***

歌に出てくる地名にも謎が多い。あまぎぃ~~~ごおえ~~~♪ の『天城』とか、はるかなおぜぇ~とおいそら~~~♪ の『尾瀬』がそれに相当する。伊豆に住んでいるので、天城は知ってしまっているが、尾瀬がどこにあるのかは未だによく解らない。

尾瀬。はるかな尾瀬・・・とおい空・・・水芭蕉の花が咲いている・・・。なんかたぶん、ものすごおおおおおくステキな所なんだろうな、と漠然と思うだけだ。そして、それでいいのである。尾瀬に関する情報はいりません。頭の中でスーパー素敵なモネの絵みたいな場所を想像するだけで満足である。誰も教えてくれるな。

めっちゃたのしい。


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そして、こうやって『ばんそうこう』とか『尾瀬』とかの謎を書くと、どこからともなく現れた、”親切な人” がコメント欄なんかでご親切にも教えてくれるのである。ばんそうこうってのはね~、名前の由来があーでこうで、うんぬん、かんぬん。そしてたぶん、その親切な人も、ググった結果を転載しているにすぎない。

違う!そういうことではないのだ。別に明確な答えが知りたいわけではなく、謎と、その経過を楽しんでいるだけなのである。いわば ”無知の風雅” とも呼べる言葉遊びのようなもので、荒唐無稽な考えでも、突拍子もない説でも、そういうことを想像して、あーでもない、こーでもないと憶測するのが楽しいという話だ。

ググれば謎が解けることくらい、いまどき子供でも知っている。それを解った上で、あえてググらずにそういうことを面白がっているのに、したり顔でGoogle先生から聞いた結果を、さも自分の知識のように話されると、興ざめである。つまらん奴だな、と、思う。

あなたの周りにもいませんか、みんなでそういうちょっとした謎を、あーでもない、こーでもないと、キャッキャうふふと楽しく話しているときに、スマホ片手にGoogle先生に聞いた結果をしたり顔で教えてくれる人。

そいつはもうダメだ。手遅れである。お荷物になるので、次の戦場にはつれていけない。


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そして、そもそもの話なのだが、Google先生の検索結果自体も、かなり怪しくなっている。

これはGoogle先生がダメなのではなく、よくわからんアフィリエイトとかのおカネ儲け目的のサイトが乱立したことに由来するもので、Google先生にはあまり責任がない。

ぜんぜん知識や経験のない人が、webライターとかいう良く解らない職業を名乗り、ググった知識を切り張りして書いているサイトのいかに多いことか。当然ながら、そのことについて勉強したこともなければ、練習したこともないような人が書いているので、間違った情報も多いし、又聞きの又聞きの又聞きみたいになっていく過程で知識が湾曲されている。

例えば、『シュレーティンガーの猫』のような、「猫は生きていて、そして死んでいる」という、ありえない状態を示す例え話が、最近では「蓋を開けてみるまで猫は生きてるか死んでるかわからない」という話にすり替えられてしまった。エルヴィン・シュレーディンガーが提唱した思考実験とは全然意味が違うが、理解の難しい量子力学のたとえ話を、又聞きの又聞きを繰り返して一般ウケするように湾曲していった結果がコレである。


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最初の話題に戻ろう。Google先生が人生の楽しい ”謎” を減らしてしまう、という話だ。

まー、すぐに ”答え” が解った方がいい、っていう人も多いよねー、とは思うが、わたしにとって、”謎” とは話題であり、コミュニケーションのツールなのだ。宇宙の果てはどうなっているのか解らない。だから、こうなっているかも、ああなっているかも、と、会話が色々と繰り広げられる。そういう手段は多い方がいいし、人間の想像力を育むことにもつながる。

生きていく上で大切なのは結果ではなく経過なのだ。

賢明な読者諸君であればご存知であろう。結果は皆おなじ。お金持ちだろうが貧乏人だろうが、美女だろうがブーちゃんだろうがおなじ。すなわち ”死” である。

”死” が万人に等しく与えられた結果とするならば、人生を楽しむ過程に、生きていく上で重要な解答以外の答えはあまり必要がない。大事なのは楽しむこと。人とくだらない謎とかそういう話題でコミュニケーションを取り、ほがらかに暮らすことではないか、と、思うのである。

どうか願わくば、みなさまの2023年が、ほがらかで、ちいさい ”謎” を笑って楽しめる年になりますように南無。

うちは ”謎” を楽しめる友達いねーから、コミュニケーションもなんもないけどな!


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