【「公」と「私」を明確に区別する】政治屋は爪の垢を煎じて飲ませていただきましょう | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

李登輝さんのような方が日本の首相だったら本当に良い国に生まれ変わっていたと思います。このような政治家、日本にはまずおりませんね。皆、口先だけで理想に生きる政治家が全くいない。

★【「公」と「私」を明確に区別する】(故・台湾李登輝元総統)★

権力を持つ指導者は「公私の別」をはっきりさせることも肝に銘じておくべきです。

まず、部下については私情に流されず、明快に処理しなくてはならない。

私にはこんな経験があります。総統になるまでに、私は台北市長、台湾省主席、副総統を歴任しましたが、その間、ずっと補佐してくれた秘書がいました。

彼はあらゆる面に優れ、筆も立ち、大変役に立つ人物でした。しかし、総統になった後、私は彼を辞めさせました。国家にかかわる問題を起こしたからです。彼に対する情はもちろんありましたが、それに流されるわけにはいかなかった。

また、民主国家の政治家にとって、選挙はきわめて重要なものです。選挙で支持してくれた人には当選した後に報いたいと思うのは当然でしょう。同時に、次の選挙のことを考えれば、支持をつなぎとめるためにも何かしら便宜を図っておきたいと考えるのも無理からぬことです。

しかし、そこには限度というものがある。感謝の念は表すにしても、選挙は選挙、国政は国政であり、まったく別ものと割り切るべきです。選挙が終わったら、支援者との私的な関係はきっぱり断つことが大切です。

それから、これは台湾のみならず、とくに中国や韓国など、アジア世界でしばしば見られることですが、身内への利益供与という問題があります。偉くなった人物が親戚縁者に職を与え、引き立てる。これを私は「エイジアン・バリュー(アジア的価値観)」と呼んでいます。

政治・社会の体質に肯定的な支配体制の色が濃いと、権力を握った者が独裁的になり、家族や自分個人を中心とした考え方で公の権力を私物化し、国家全体のことを忘れてしまう。これが国民の目にどう映るかは言うまでもないでしょう。

総統在任中、私は家族、親族はもとより、父の友人にさえあまり会わないように心がけていました。父は県会議員を務めたこともあり、地元の人々と親密な関係を持っていました。そのため、私が総統になると、多くの人が父を通じて、人事や公共投資などのとりなしを頼んできたのです。

ある晩、私は父にこう伝えました。

「お父さんが議員であったあいだ、たくさんの人に助けられたことはわかっています。しかし、彼らの頼みごとを聞くつもりはありません。ですから、人を紹介しないでください。」

以来、父から何かを頼まれるようなことは一度もありませんでした。父が亡くなる前、私は「あの晩から一度も人を紹介しないでくれて、本当にありがとう。おかげで心おきなく職務に遠進することができました」と心から感謝しました。

多くの人たちは、政治家になったら多少は手を汚さなければならないと考えています。

自らの政策を実行するには権力や後ろ盾、そして資金が必要であり、これらを手にするためにさまざまな利権争いに巻き込まれることもある。最初は国家に忠誠を尽くすつもりでも、いずれ変わっていくはずだと。

実際、政治家の仕事とは、一方で泥水を飲みながら、一方でそれを吐きだすようなものです。いつまでも潔白でいるのはたしかに難しい。

それでも原則を曲げないよう努力しなければなりません。時には「薄情だ」と批判されるかもしれない。それでも厳正な態度で臨まなければ、理想とする政治を進めることはできません。

事実、私は多くの人から非難を浴びました。いま李登輝をいちばん憎んでいるのは、ひょっとしたら私の親戚かもしれない。十二年間も総統の座にありながら、親類縁者の誰一人として高い地位に就けたり、利権がらみの仕事を与えたりしなかったのですから。

頼みに来る人がいなかったわけではありません。たいていは直接ではなく、人を介しての依頼でしたが、私はすべて断りました。