歩いて、見て、感じて、考えて、思うことのいろいろ | さすらいふうふの世界一周

さすらいふうふの世界一周

世界を巡る旅を終え、帰国しました!
しばらくは(!?)日本で新たに生活を始めます。
ひきつづき、応援よろしくお願いいたします。

アユタヤの遺跡。

行きは自転車でスイスイ、帰りは自転車あるのにまさかのパンクで歩く羽目に・・・(泣)

ホテルに戻って新しい自転車に交換してもらった私たちは、せっかくなので…ということで、

その自転車に乗って再びアユタヤの町に繰り出したのでした。



タイ滞在記

2012年12月5日~12月12日
~タイ アユタヤ編~



新しい自転車に再び二人乗りして出かけた。

今度は北の方に行ってみよう!

町の北に市場があるらしいのだ。

自転車を走らせる。



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シャワーを浴びてさっぱりした私たちは気分もすがすがしく元気回復。

二人乗りの自転車で颯爽とアユタヤの町を駆け抜ける・・・



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ひゃ~、ド派手なデコトラならぬ、デコバス・・・


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アユタヤは、バンコクほどの都会とまではいかないものの、

セブンイレブンなどコンビニもあったりとド田舎でもない。


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タイ語で書かれた看板が目を引く。

日本語や英語のアルファベットとは違うその国の独特の文字を見ると、

ああ、私たちは異国にいるんだなあと改めて強く感じる。


英語、マレー語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、カタルーニャ語、ドイツ語、イタリア語、

オランダ語、フィンランド語、スウェーデン語、ベトナム語、カンボジア語、タイ語、

(そして、この後行くインドネシアのバリ語、インドネシア語)・・・・などなど、

この旅でいろいろな国を周り、周った国の数だけいろいろな言語に触れてきた。


世界のさまざまな国、発音違に違いはあれどもアルファベット表記する国であればなんとか読むことが

できた。読めるとなると、現地の人が会話の中で使っているその単語の発音と意味がつながり、

初めてその単語がなにのことを言っているのかが分かってくるようになる。

それがどんどん増えてその国の言葉の単語が増えて、単語が分かればなんとなくでも何を言っているのかが理解できるようになってくる。

私はいろいろな国の看板や広告、メニューなどに書かれたよく目にする単語を見て、聞いて、

そうすることでそれがいったい何のことなのかを雰囲気で捉えた。そうして長く滞在した南米では

なんとな~く話されているスペイン語が何を言っているのかが分かるようになっていった。

そして、この方法が言語を習得する原点なのだろうな、とも思った。

小さな子どもが言葉を覚えてゆくのと同じ。

耳で聞いて、文字で見て・・・生活の中で自然に理解してゆくという流れ。


しかし、文字自体が違うと全くもって読めない。

タイ語もそのひとつだ。

文字自体が違う読むことさえできないので、なんと書かれているのか全く分からない。

アユタヤに来る時、駅の看板に書かれているタイ語の駅名が私たちを不安にさせたのもこの理由からだ。

文字が分からない⇒読めない⇒書けない・・・となると、現地の人とコミュニケーション取るのも難しくなる。

最終手段である、紙に地名などを書いて「ここに行きたい!」などという筆談すらもできなくなるからだ。

今日のタイ語と同じように、まったく持って理解できなかった言語のひとつがアラビア語だったことを

思い出す・・・


読めない・・・

書けない・・・


アラビア語に関してはどれが「ひと文字」なのかすらよく分からなかった。

そして、パキスタン人のお友達のアバスがアラビア語を書いてくれるのを見て初めて

「右から左へ書く」ということを知った。


文字が読めない言葉に関しては最初から「理解しよう!」「理解しようと努力してみよう!」という

気持ちが持てなかったのも事実。


いや、でも、そう考えると・・・


この広い地球の中で、

日本語は日本というたったひとつの国のみの公用語として使われている言語。

日本語もかなり複雑。

きっと、世界の人が持っている日本語のイメージも、私がアラビア語やタイ語に持っているイメージと同じに

違いない・・・



日本においても、案内標識などは英語表記のものもかなり増えた。

だがしかし、基本は日本語だ。

しかも、その日本語にはひらがな、かたかな、漢字の3種類があり、私たちはそれを用途によって

使い分けて、使いこなしている。しかも、外国から入ってきた言葉を日本語としても使ったりするから

これまた複雑だ。

文字が3種類あるってだけでも、かなり複雑で難しいことなのではないか。


海外から来た日本語を話さない観光客がが日本語で書かれた看板を見たら・・・

それはきっと私がタイ語やアラビア語を見て「何が書いてあるのかさっぱりわからん」と感じるのと

同じなんだと思った。


日本語といえば、旅をしていてどの国に行っても皆が同じ反応を示すできごとがあったことを思い出した。

それは、私が旅の間ずっと付けている日記を書いている時のことだった。

私は旅の間、宿やカフェ、待ち時間を過ごす空港や駅などで日記をつけることがよくあった。

その時、何気に視線を感じることがあってふと目をあげると、

必ず近くにいた人が私の日記をじっと、興味津々で覗きこんでいたのだ。


「日記を書いているの。」


日本人に覗かれたら「見んといて!」と怒りだしたくなるところだが、

彼らが日本語を読むことができるとは思ってないので、見せてあげる。

そして、その時必ず彼らは目をまあるくして言うのだ。


「WOW!」


漢字、ひらがな、カタカナの3種類の小さな文字と数字や英語がびっしり書いてある私の日記に

感嘆するのだ。


そして、


「これ日本語?書いてみて!」と続ける。


私は横書きのノートに左から右へと日記の続きの文を書き足してゆく。



「WOW・・・」


再び、感嘆の声。


私が一文字一文字日本語の文字を書くだけで、なんだかものすごいパフォーマンスをしているかのように

彼らはみな感嘆の声を上げた。

彼らにとって日本語の文字をすらすらと書く行為は、見たことのない記号のような、暗号のような文字を

書いているように見えているに違いない。

そして、そういう彼らは少しでも日本や日本語に興味を持っている人が多いので、

かならずいろいろと日本語について、さらには日本について質問してくるのだ。

そして、時には日本語で自分の名前を書いたらどうなるのか、など話は尽きない。


いろいろな国で行われたこの日記を通じての彼らとのやりとりはとてもおもしろくて私は大好きだった。

そして、改めて日本だけでなく、日本語の魅力について考えさせられることになった。


日本語はとても複雑で、彼らにとってはきっと芸術作品のようにみえるのだろうな・・・


今、パソコンのキーボードで文字をたたいている今でさえ、その複雑さを感じている。

なんせ、単語ひとつたたいても「変換」という作業が必要になる。

変換するにはひらがななのか、カタカナなのか、はたまた漢字となればその文意にあった漢字を選ぶ

必要も出てくる。

その分、表現や言い回しも豊かで、おまけに敬語や方言もあったりして、

文ひとつ作るにしても、幾通りもの文が人それぞれにできあがる。


いや~、日本語、奥が深い・・・


日本人として日本に生まれた私は小さい時から日本語と共に生活してきたからこそ、

当たり前に日本語を話して書く今。

ごくあたりまえにやっていることだが、あらためて考えるといろいろ複雑なことを使いこなしているんだな

とも思う。


そういえば、初めての海外生活でまだ英語がうまく話せずもがいていた昔、友達が私に言った。


「ゆかは日本語を上手に話すでしょ。こんなに難しい言語を使いこなしているゆかが英語を難しいと

感じるのはおかしい。」


納得できるかも・・・



そうだ。私はこんなに複雑な日本語を操っているのだ!

日本人はかなり難しい日本語を簡単に使いこなすことができているのだ!

日本語を使いこなす日本人なら、他の言語を習得するのも難しいはずはない・・・


よし!


スペイン語。

次の私の習得目標のこれ・・・


南米の国々の人々の心の優しさに触れ、次に訪れる時には絶対にスペイン語を話せるようになって

みんなといろいろ話がしたい!

と強く思っていた南米での日々。


日本に帰国して使う必要もなくなってちょっと億劫になっていたけど、やっぱり勉強しよう!


やる気スイッチ、ON!!





ふぅ・・・・・


あれ・・・・




アユタヤの町を歩いていたのに・・・


読めないタイ語の話から日本語の複雑さにいたってさらには私のスペイン語のやる気スイッチの話・・・

なんだか訳が分からなくなってきた(泣)


きっと、いいたかったのは、


すばらしい言葉と文化を持つ素晴らしい日本を誇りに思って、

母国である美しい日本語を愛し、

でも海外に出たら日本語が通じない国の方が明らかに多いので、

そして、そのかなり難しい日本語を他の国の人に話して!というのはかなり酷なことだと思うので、

その時にはその国々の言葉を少しでも勉強して、その国の言葉でその国の人たちと話そう!

そして、そうやってその国のすばらしさを感じながら、日本のすばらしさも伝えよう!


そんな感じのことを改めて考えたのでした。






話は戻り、市場に到着。


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この辺に自転車をとめて・・・

となりにボロボロのトゥクトゥク。でも現役活躍中。



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市場は「リアル市場」だった。

観光客向けのお土産品を扱う市場ではなくて、肉や魚やお野菜などの生鮮食品を扱うお店が並ぶ。


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市場と並ぶように隣と通りには商店街らしき通り。

錆びれた商店街・・・

地元の人が買う服や雑貨などの日用品を扱っているお店が並んでいた。

私はタイで買いたいと思っていたものがあった。

薄手のゆったりとしたつくりの綿の長パンツ。蒸し暑い東南アジアの気候にはもってこいで、

涼しいし、虫よけにもなる。1本持っているのだが、すぐ汗だくになるので換えが欲しかった。

先日、カオサン通りで物色したのだが、これ!といっていいものが見つからず。

でも、ここ、アユタヤのお店でもいいものが見つからなかった。


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商店街を抜けると、川があった。


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駅からアユタヤの町に入る時、渡し船で渡ってきた川だ。

東南アジアの川の水を見ると、衛生的になんだか恐ろしくなるのは私だけだろうか・・・



再び自転車に乗って違うルートを通ってホテル近くまで戻ってきた。

すぐ近くにある市場も歩いてみた。



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お野菜にお魚。

ベトナムに続いてタイにもたくさんの見たことのないお野菜が並ぶ。

この中には私があまり得意ではない、たあにいたっては絶対に食べられない「パクチー」のような

香草もあるのかなあ。


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こっちもお魚いっぱい。

東南アジアの旅ではキッチンで自炊する機会がなく、市場にお世話になることはなかった。

でも、もし料理できたとしても・・・

30度を越える真夏のむしむしとした炎天下の中、常温で置かれたお魚やお肉に手を出すのは

怖い気もした。



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安くてとってもおいしい、屋台のタイ料理。


ここのところずっとこれにも手をつけていなかった。

そして、これにはわけがあった。



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ねこちゃんは、万国共通、世界のどこで出会ってもかわいい。

ネコ好きの私としてはたまらない。

そして、私のちいちゃんとはなちゃんが恋しくなった。



アユタヤには3日滞在。

再び列車に揺られてバンコクに戻ることにした。

ホテルのビュッフェスタイルの朝食を頂き、歩いて駅に向かう。

朝から曇りがちだったが、渡し船を降りたところでとうとう雨が降ってきた。そして本降りに。


さて、バンコク行きの列車は何時かな・・・チケットを買う。来た時と同じ、3等車、30バーツ。

列車の出発時刻は12:17だが、遅れているため、12:45くらいになるらしい。


1時間半以上、駅で待ちぼうけ。


ベンチに座って列車を待った。

たあは本を読み始めた。

ホームにはたくさんの人が列車を待っていたが、皆がバンコクに行くわけではなく、

バンコクから北方面に向かう列車も2回ほど停車、それに乗り込んでゆく人もいた。


カンボジアのシェムリアップからバスでバンコク入りする時に一緒に国境を越えるバスに乗っていた

中国人夫婦を見かけた。

奥さんも私のことを覚えていてくれたようでにこっと笑って手を振ってくれた。

彼らはさっきの列車で今日バンコクからアユタヤにやってきたようだ。


雨が上がった。

ベンチの下に大きいけれどとてもやさしい目をした犬が寝ていた。


「どこに行くの?」

車掌さんかな、鉄道会社らしき制服を着たおじちゃんが声をかけてくれる。

「バンコクに行くの。」

「あと30分くらいで列車が来るよ。」


ひとなつっこい、英語を話すおじちゃんにも声をかけられ、世間話をしていると、12:30頃に

列車がやってきた。

さっきの親切な車掌さんが「この列車だよ!」と合図してくれる。


車掌さんとおじちゃんに別れをつげて列車に乗り込む。

アユタヤ駅始発ではないのですでにたくさんの乗客が乗り込んでいた。

空いている席を探す・・・

おじちゃんふたりとボックス席に相席。


列車は順調に走った。



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来る時みたいに1時間以上も停まって動かないなんてことはなかったが、

バンコクまでの約2時間、やはりエアコンなしの蒸し暑い車内は快適とはお世辞にも言えず・・・。




旅も終りに近づいてきたせいだろうか。


いろいろな思いが巡る。


でも、きっとこれだから旅はやめられないんだろうな、なんて改めて思ってみたり。

支離滅裂な内容の記事でごめんなさい(苦)



<ゆか>





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