さすらいふうふの世界一周

さすらいふうふの世界一周

世界を巡る旅を終え、帰国しました!
しばらくは(!?)日本で新たに生活を始めます。
ひきつづき、応援よろしくお願いいたします。

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2012年12月28日~12月31日

~インドネシア・ジャワ島編~







今日は古き良きコタ地区へ!


私たちは昼過ぎまでのんびりした後、コタ地区の観光へ繰り出した。




オランダ統治時代の建築物が残る旧市街、コタ地区(旧バタビア)。

ジャカルタで唯一観光ができるかなと思い、このエリアの近くに滞在することにしたのだった。






まずは、近くにある唐人街を歩いてみることにした。


夜、餃子屋さんへ行く時にいつも通っている道だが、


昼間は車やバイクが一段とたくさんせわしなく走っている。









お寺を見てみようと路地裏へ。








朱色のきらびやかなお寺「金徳院」。








仏教のお寺でも国によって随分と様相が違うものだ。


日本の寺社仏閣は、荘厳な感じでとても趣があると思う。










中には・・・










富貴をあらわす黄色い着物。その着物からはみだすほどまるまると肥えた太鼓腹。

肌色は白くてつややか。満面の笑み。




布袋様・・・!?




参拝者は、まずこの像に頭を下げ、このお腹をなでるのだそうだ。


このお寺はジャカルタの華僑の人たちの信仰を集めているそうで、私たちが訪れたこの日も


たくさんの参拝客が線香に火を灯して参拝していた。



中国から来て、何代にもわたって住みついている華僑がインドネシアにはたくさんいて、


いまやインドネシアの人口の5%は中国系なのだそうだ。


そして、その5%の人口で、インドネシア経済の80%をにぎっているというのだから、


すごいパワー!











路地裏は小さな商店が立ち並び、もうすぐ新年を迎える時期だったこともあってか、


”新年グッズ”と思われるめでたい赤い商品がたくさん並んでいた。


これは日本で言うポチ袋かな。








気がついたら車やバイクの大渋滞に巻き込まれて身動き取れず(泣)


大渋滞の中を歩いて古い町並みが残る川沿いへ出た。










コタ地区は、旧バタヴィア時代の古い町並みが残るエリアで、

バタヴィアの政治の中心だったという旧バタヴィア市庁舎(現ジャカルタ歴史博物館)など、


オランダ統治時代の古い建物が街並みに残っている。










洋館らしいオレンジや白の屋根や壁は風情があってとてもいい・・










のだが、その前を流れる川が・・・




とてつもなく汚れていた。


ヘドロがたくさんたまった川は流れるはずもなく、その上に大量のゴミが浮かぶ。そして、少々におう。


川沿いの散歩道も整備されておらずでこぼこの荒れ放題。




少々、がっかりだ・・・


きれいにすればとても雰囲気のよいエキゾチックな景色が広がる通りになるだろうに。


そう思いながら、この先にある跳ね橋を目指してさらに歩く。








すると、バスがたくさん止まる、廃墟と化したバスターミナルの跡地のようなところに出てきた。






雰囲気がよろしくない。




あたり一体に異様な、重苦しい、危険な空気が漂う。


壊れたバスの中に男の人が寝ていたりする。


怖くなってきた。


たあが一緒だからよかったものの、昼間といえどもひとりで歩くのは危なそうだ。




後から分かったことだが、この時、このエリアに足を踏み入れた瞬間、


たあも私と全く同じことを感じていて。


「ここは危ない・・・」


私たちがふたりとも同時に危険を感じていたようだ。




足早にここを通り過ぎた。






跳ね橋のところまで歩く。


なにもなくてよかった。








現在は道路面をアスファルトで固定してしまって跳ねることはないようだが、


オランダ植民時代の跳ね橋。









でも、せっかくの跳ね橋のあたりもゴミがいっぱい、そして、少々におう・・・


またまた、少々、がっかり・・・




さらに歩き、そろそろお目当てのカフェでお昼ご飯を食べよう!


「VOC ガランガランカフェ」を探した。


しかし、なかなか見つからない。


地図でチェックした場所には中華レストランのような建物があるのみ・・・


と思ったら、その建物を入った奥にそのカフェがあった。










東インド会社時代の建物だというその建物はとてもいい感じ。


異国情緒あふれる、とでもいいましょうか。








ミゴレンとアヤムゴレンをいただいた。








風がとても心地よくて。




さっきまで歩いていた危険な空気が漂う通りや、汚い川の景色が近くにあったことを忘れさせてくれた。




欧米人の観光客がふた組、私たちと同じように休んでいた。


彼らもコタ地区の観光にやって来たのだろうか・・・どんな風に感じているのだろう。


後ろに座っていたカップルは、私たちがこれから向かう海洋博物館に行ってきたようで、


”It isn't really interesting”と話している。


そうなの・・・




と思いながらも、しばらく休憩した後、海洋博物館へ行ってみた。













でも残念なことにすでに閉館。


東インド会社の倉庫跡を改装した建物だそうなので入ってみたかった。








近くにある見晴らし塔を見て、付近を散策。


その先の魚市場へと続く道を歩いて進んでいってみたが、








ローカルすぎる雰囲気に恐れをなして、途中で引き返してきた。




さらに歩いて、スンダ・グラパ港へ。








たくさんの木造の船が停泊。


インドネシア伝統のピニシという木造帆船で、とてもクラシカルな船だが、


今でも立派に木材などを運んでいるそうだ。


船の近くでおっちゃんがしきりに手招きしているが、なんだか怖くて近づけず。








代わりに、近くにいた白い猫ちゃんと。


うちの、ちいちゃんとはなちゃんを思い出す。












ジャカルタの旅の見所として紹介されているコタ地区(旧バタビア)だが・・・・


正直なところ、少々がっかりだった。


それはきっと、汚いという印象が強かったからだと思う。


せっかく美しい建物が残る街並みがあるのに、ゴミが多く、川が汚れ、悪臭が立ち込める・・・


そんな雰囲気に伴って、治安が悪そうだと感じてしまう(実際に治安がいいとはいえない)。




そんなことを考えてると少々テンションが下がってきた。








さらに追い討ちをかけるように、雨まで・・・




素敵な景色があるのに、なんとかならないのか、なんとかしたらいいのに・・・






〈ゆか〉

ジャカルタ。


泊まっているホテルの部屋に窓がなかったため、朝が来てもよく分からない。
しかし、8:00頃、たあが張り切って起きていた。
残念ながらホテルの朝食はなし。

ではでは、朝食に点心を!
昨日チェックしていた点心のお店に行ってみるか!ということで
歩いてマンガドゥアを目指すことになった。


ジャカルタの道路もたくさんの車やバイクが行き交い大混雑、
そこら中でけたたましいクラクションの音が鳴り響く。


グロドッ地区も都会には違いない・・・
けれど、なんだかどこか古くさい、ごみごみとした感じが漂う。
残念なことに道路にはゴミがいっぱいで、悪臭まではしないものの、正直ひどい光景。
そんな道路におじさんたちは容赦なく水をまいてゆく。
そして、そんな水が流れ込んでゆく川が汚いことはは言うまでもない。
ヘドロだらけの川底に淀みきった水がちょろちょろと流れ、ゴミが浮かぶ。

そんな川の近くで営業している麺料理やサンドイッチなどを売る屋台を見ると、
「絶対(お腹に)アタる・・・」そう、思わずにはいられなかった。
屋台料理は勇気と覚悟が必要。


20分くらい歩いてマンガドゥアへ到着した。
情報によると、そのショッピングモールの入口付近に点心の店があるらしい。
何箇所かある入口をチェックして探してみたが、点心のお店らしきものは見当たらない。
そして、点心のお店の近くにあるはずの目印のパン屋さんも見当たらない。
念のため、7階にあるフードコートもチェックしてみたが、やはり点心のお店はなかった。


ゆか:「ねえ、点心のお店の情報っていつの?」
たあ:「2年前・・・」


情報は古かった。
きっと、移転したか、なくなっちゃったんだろう・・・

おいしい点心は食べられなかったけれどお腹はぺこぺこだったのでご飯を食べることに。
結局7階のフードコートへ。

心躍るお店は見つからなかったので、とりあえずこのお店に決定。



HOKA HOKA BENTO


ほかほか弁当・・・!?

お盆を持ってカウンターへ行き、メインになる料理を注文、あとは並べられた小鉢のおかずや

ご飯を自分が好きなだけとって支払いを済ませて席について食べるという

セルフサービススタイルの日本食レストランだった。

かわいいんだか・・・キャラクターがなんだか微妙。



からあげ定食っぽい。お味噌汁でないところが少々残念だったが、意外とおいしかった♪
ジャカルタではメジャーなチェーン店なのか、このお店、他でも見かけた。


マンガドゥアとは、本来は通りの名前を指す。
でも、ジャカルタっ子たちが「マンガドゥアに行く」と言うと、
たいていの場合、一連のショッピングビルのことをさしている。

年季の入った建物が通りに沿って二棟あり。向かって右側がITC(International Trade Center)。
左の棟はパサールパギ(朝市場)と呼ばれている。
大通りを挟んで向こう側に、やや新しいマンガドゥア・モールという ショッピングセンターもある。

大雑把に分類すると、ITCとパサールパギの2棟は服飾や日用品を中心とした雑貨、
新型モールの方はOA機器や 電気製品を中心とした品物を扱っている。


マンガドゥア・モールはいわゆる洗練されたショッピングセンターという感じだった。



かなり立派な巨大モールで、たくさんの電気店が軒を並べている。
でも、電化製品は日本で買うのが一番なので、私たちはぶら~っと見て回る。


日本の電気屋さんとちょっと違う。
日本の電気屋さんはテレビ、パソコン、調理家電、エアコンなどというった具合に
各製品ごとにブースがあってとても見やすい。
しかし、ここの電気屋さんは各ブースが一軒ずつの電気店であって、
それぞれのお店がテレビやらパソコンやらいろいろな製品を扱っていて会計もお店ごとだ。
たくさんの電気屋さんがそれぞれのお店を出している、お店の集合体という感じなのだ。

しかし、インドネシアの電化製品の品揃えもなかなかだ。
パソコン、携帯電話、テレビなどは日本と変わらず最新モデルが揃っていた。

ここマンガドゥア・モールは東南アジア最大規模を誇る電気店なのだそうだ。


私たちは海賊版CD屋さんでインドネシア伝統音楽のCDを1枚購入(5000ルピア)。
ちゃんと聞けるかどうか少々心配だったが、ホテルに帰って聞いてみたらちゃんと聞くことができた♪
そして、音楽もなかなかいい。

ぶらぶら歩いてモールをひと回りしたあと、モール内にあったスーパーでお土産用のミゴレン(袋麺)を
買ってホテルへと戻ることにした。



朝からいろいろ歩き回ったこともあり(結構な距離を歩いた)、疲れて今日の活動は終了・・・
あとは夕食だ。

やっぱりこれといってお店が見当たらないので、昨夜と同じ中華料理やさんへ行くことに。
このお店の店員さんはみんな感じがいい。特にレジのおっちゃんの笑顔は素敵だ。



麺も食べて。さらに今日は焼き餃子を2皿(20個)注文。



旨い!!!!!!!!!!


あっという間にぺろりと食べてしまい、さらにもうひと皿(10個)追加注文。
ビールも2本。


ここの餃子、かなり絶品。

餃子が大好きな私たちは家でも自家製餃子を作る。
自分で言うのもなんだが、これまた絶品なのだ。
仕込んで、包んで、焼いて、いつも夫婦ふたりで60個は食べる。

負けず劣らず、ここの餃子は餡といい、皮といい、焼き具合といい、
まさに私たち好みにドンピシャの餃子だった!


満腹になって帰る頃、店の入口で店員さんが総動員で餃子を作っていた。

私たち、食べ過ぎたかな(笑)

生地も餡も手作り。おいしいはずだ。


「ここの餃子、最高だったなあ!」

「また食べたいな。」

日本に帰国後、餃子を作って食べる機会があるが、その時にいつもこのお店の餃子が話題になる。



夜。


寝る前に「喉が渇いた!」とたあ。
少し歩いたところにコンビニがあるので買い物に行くか、と考えたが、夜中に出歩くのはよろしくない。
危険かもしれない。
特にここは駅近くのエリアだ。
(だいたいどの国のどの町でも、駅付近やバスターミナル付近は治安が悪いのが常)
昼間歩いた街の雰囲気からしても、決して「治安がよい」といえるものではなかった。

中にはお気づきの人もいたかもしれない。
ジャカルタに入ってから、写真が少ない・・・
写真を撮りたいと思う景色があまりないというのもあったのだが、
「ここでカメラを出して写真を撮るのは危ないかもしれない」、という空気があったのだ。


自分たちの身は自分たちで守る。
旅の最後にトラブルに巻き込まれるのはごめんだ。


高いけど・・・ホテルでコーラを買うことにした。
コーラ1本、17000ルピア+サービス料+税金21%だって(泣)



コーラを飲みながら、たあがぼそっと一言。


「この旅で、今日が一番充実感がないかもしれん・・・」



ジャカルタの思い出は、餃子に尽きるかもしれない・・・・・



バリ島から、あの最高に楽しかったバリ島でのテンションのまま帰国できたらよかったのに・・・
(貯まったフライト・マイレージを使って無料で手に入れた航空券、インドネシアからの日本帰国便は
ジャカルタからの便しかなかった)


でも、私たちはジャワ島のジャカルタにいる。
私たちの旅の最後はここだ。

もうすぐ本当に私たちの旅が終わる。
今度こそ本当に終わるのだ。



〈ゆか〉

日本帰国のフライトを控えた私たちは、私たちの旅最後の訪問地、

インドネシアはジャワ島のジャカルタへと向かったのでした。




2012年12月28日~12月31日
~インドネシア・ジャワ島編~



バリ島、クタ。


早朝6:40起床。荷物をまとめ、7:30に手配していた車に乗って空港へ向かう。


朝早いため、残念ながら毎朝食べていたホテルの朝食はたべることができず(泣)

空港に着いて昨日スーパーで買っていたパンを食べることに。

何か飲み物を買おう!

が、この頃バリのングライ国際空港の国内線ターミナルは工事の真っ最中で、

”仮”の建物で営業中、という感じでかなりショボイ・・・

チェックインカウンターも、待合場所も店もすべて「”仮”感」満載。

ひとまず大きな荷物を預けてからゆっくりしたかったのでチェックインを済ませて

搭乗口に入ってしまったため、小さな売店しかない。

その売店ももちろん”仮”感満載、いかにも臨時的に置きました!という棚に

スナック菓子やパンなどが置かれているだけだった。


そんな感じの売店なので、まったく期待はしていなかったものの・・・

たあが頼んだ珈琲は紙コップに粉コーヒーを溶かしたのがでてきた!

これがなんと、10000ルピア(約85円)もする。

私の頼んだ紙パックのりんごジュースは15000ルピア(約128円)!

なんだ、安いじゃないかと思うかもしれないが、

クタではコーラ一本8000ルピア(約68円)、

特に物価の安かったサヌールではスプライト一本5000ルピア(約42円)で、

しかもレストランで頼んでもこの値段だったということを考えると、

空港価格というのは否めないだろう。


工事中だからこうなのか・・・

国際線のロビーはこんなことはないよな~・・・



ちなみにこの工事中の少々残念な国内線ターミナルにも関わらず、

しっかり国内線空港使用料として40000ルピアを取られた。

そして、私たちの旅始まって以来、初めて空港使用料を別に払ったことに気がついた。

そう、ほとんどの国の空港の空港使用料は航空券代に含まれているのだ。


早めに空港に到着していたのでフライト時間の9:50までしばし待つ。

しかし、9:40分が来てもまだ搭乗が始まる気配なし。


「ロンボク~!ロンボク~!」

同じく9:50発のロンボク島行きの飛行機の搭乗は始まった。

でも私たちの飛行機はまだ。


しばらくしてロンボク島行きの飛行機の搭乗手続きが終わった後、

同じゲートで私たちの飛行機の搭乗手続きも始まった。

ボーディングパスを切ってもらい、やっと飛行機に乗れるよ~と喜んで進んだものの、

外でまた待つように支持される。

ターミナルから飛行機まではシャトルバスで移動するようなのだ。


手際が悪い・・・


しばらく待ってやっときたシャトルバスに乗り込んでやっと飛行機へ。

あ~、長かった・・・




格安航空会社Lion Airの飛行機は3列+3列シートの狭いシートだった。

私たちは窓際に席をとっていたのだが、

たあのとなり、通路側の席に中国人らしき家族の女の子が座った。

フライト中、ずっとこの女の子の肘がたあの肘に何度もぶつかり、

彼はかなり居心地が悪かったらしい。

私はほぼ眠っていた気がする。



飛行機はジャワ島のジャカルタ、スカルノハッタ国際空港へ到着。


空港からダムリ社のバスで街中のガンビル駅に向かうことにした。

ガンビル駅から電車に乗って今日宿泊予定のホテルがあるクロドッ地区に向かうつもりだったからだ。


高速道路を通り、ジャカルタの街に入ると、高層ビルが立ち並ぶ景色が広がった。

同じインドネシアとはいえども、バリ島とはまったく違ってかなり都会なのだと実感した。


ガンビル駅に着いて、コタ行きの列車の乗り場を探す。

が、どうやらコタ行きの列車が止まっている!?

駅にいる係員に確認するも、やはり列車がない!?

疑うわけではないが、何人かの人にたずねてみたものの、やはり返事は同じ。

コタ行きの列車はない。

今日だけのことなのか、コタ行きの列車はもはや運行されていないのかは分からなかったが、

とにかく、コタヘ列車で行くことができないことが明らかになってしまった。



え~・・・

せっかく来たのに。


列車に乗れないならどうやってゆくのがいいのか聞いてみると、タクシーが一番いいとのこと。

しかし、タクシーを使うと100000ルピアくらいかかるというではないか。

空港からの交通費を安く抑えるためにバスと列車を乗り継いでやってきたというのに、

今更タクシー代に100000ルピアかかるだなんて。


なんだかどっと疲れが出た私は、この際もうタクシー乗っちゃう?と思っていたのだが、

この日のたあは断固としてタクシーに乗ることに反対だった。

たあの中で、ここまできて今更・・・・タクシーに乗ることが許せなかったらしい。


タクシーがダメとなると、ほかに手段は…いろいろ調べた結果、

「バスウェイ」という乗り物に乗って向かうことにした。

バスウェイは、バスのような車両が数台連なったような、

見た目は「バス」のような乗り物なのだが、

道路に張り巡らせたバスウェイ専用の線路のような道を走る乗り物だ。

「路面電車」スタイルのバス、といえばお分かりいただけるだろうか。

最寄りの停留所まで歩き、チケット売り場で確認すると、

このバスウェイに乗ってハーモニというところまで行き、

そこで一度乗り換えてコタまで行けるらしい。



しかし、このバスウェイの道のりは遠く、長く、険しいものだった・・・


まず、このバスウェイ、ものすごい乗客。

インドネシアでは(イスラム圏だからか!?)列を作って並んで待つというマナーは全く通用せず、

ものすごい数の乗客がバスウェイの入口に殺到してなだれ込む。


降りるお客さんを先に降ろして…なんてマナーもあったもんじゃない。

すでにものすごい数の乗客が乗っている車両にさらにものすごい数の乗客が乗車するので

車内はさながら東京の通勤ラッシュの満員電車のような状態に。

身動きが取れない。

そして、停車するたびにさらに乗客が乗ってくる。

押し合いへしあいの車内、大きな荷物を持っている私たちにはかなりつらかった。


これだけ混雑しているバスウェイ、乗り換えもかなりしんどい。

利用客が多く、待っている人の長蛇の列が・・・いや、列はあってないようなもの、

バスウェイが入ってくると、我が先に!と順番など関係なく人を押しのけて進む強者も多い。

さらに車両は常に満員状態で停留場に入ってくるのですぐには乗れず、何本も見送ることに。

ガンビル駅では3本、ハーモニ駅では2本見送った。


運良くハーモニで乗った便では座席に座ることができた。


「バックパッカー旅してるの?」


となりに座っていた、大学でイタリア建築を先行しているという現地の男性に話しかけられた。

彼は私のことをタイ人だと思ったらしい。

私は「日本人」の顔つきではない、って(苦笑)

この時の私、真っ黒にこげていたからだろうか・・・

私の顔のせいか、これまたたあの顔のせいか、

私たち夫婦は世界中どの国にいても(特にアジア諸国)現地の人に道を聞かれたり、

話しかけられたりすることがしょっちゅうなのだ。


紳士的な彼、「スリには十分気をつけてね!」と一言残して降りていった。



やっとのことでコタに到着。

ホテルへと歩いて向かう。

暑い・・・

汗びしょびしょだ。



ホテルのあるクロドッ地区はごみごみとしていて、通りにはゴミも多く、

お世辞にもきれいとはいえない街だった。治安も良くはなさそうな雰囲気だ。




が、宿泊予定のホテルはクロドッ・プラザという高層ビルに入っていてとてもきれいだったので、

一安心。


お昼ご飯は手っ取り早くホテルの入っているクロドッ・プラザというビルの地下にあるフードコートで

済ますことにした。

一応、日本食!?という感じのお店で、お弁当!?という料理を食べた。


この日は長い移動で一日潰れてしまったので特に出歩くことはなく、

夕食も近場で済ませることになった。

が、この付近、レストランとかファーストフード店とか、食べ物屋さんがこれといって見当たらない。

屋台はあるが・・・街の雰囲気から見る限り、どうも衛生的に心配な点が多い。


中華街と呼ばれる地区に入り、唯一、ここでなら食事ができそう!と、

偶然見つけたお店に入ることにした。

中華料理かな。


メニューを見るが、ジャワの言葉は分からない・・・

そこで、店員さんが気を利かせてくれて中国語のメニューを持ってきてくれた。

中国語は話せないが、漢字は読める!

漢字の意味からどんな料理なのか想像することはできるのだ。




この日は汁なし麺と、



水餃子を注文。

餃子が売りのお店のようで、この水餃子がとてもおいしかった!


そして、ジャカルタに滞在中、毎日このお店に通うことになるとは…この時の私たちは知る由もなかった。



初日からテンションが上がらないジャカルタ。

もう私たちの旅はここで終わりなのに・・・




***


新年あけましておめでとうございます

2014年もどうぞよろしくお願いします



遅くなりましたが、新年のご挨拶を。

早いもので私たちの世界を巡る旅を終えてはや一年が経ってしまいました。

2013年は日本での生活となりましたが、なんだかあっという間に時間が経ってしまったという感じで

特になにもなかったような・・・

旅の刺激が大きかった、強かったせいかもしれません。

でも、何事もなく元気に年を越せるのも大きな幸せに違いない!


2014年も新たな目標に向かって頑張りたいと思います。


皆様にとって幸せな一年になりますように。




〈ゆか〉