ネガティブ思考が根深過ぎてヒーリングでさえ効かない。
悩んでるときって、ああだこうだとあれこれあれこれ考えすぎて,
「~になったらどうしよう」ってお先真っ暗予測が次々浮かんでグルグルして抜けられなくなる、ってこと、あると思います。
そういうグルグルを抜けられる方法のひとつ。
「~になったらどうしよう」に対して、
「それほんと?」
「絶対そうなるの?」
って聞き続けること。
脳は「質問」されると「答え」を探します。
「もっと良いことは?」
みたいな無理やりポジティブに持っていくような質問は、「めり込みスパイラル」になりやすい人には不向きです。
だってね、良い想像をしてもしても、そのたびに
「そんなわけない!」
「そんなにうまくいかない!」
って大音量で否定する声が勝ってしまうから。
「ネガティブにめり込みやすい人」は、
「うまくいくはずない」
「絶対失敗する」みたいな世界観なので、
いついかなるときでも、
どんなにうまくいっているときでも、
最終ゴールは「うまくいかない」なのです。
そこの信念がもんのすごくガッツリ入ってる。
「自信がない」という結論は、そう簡単には揺らがない(笑)
このタイプの人が無理やりポジティブに持っていこうとするのは効率悪すぎ。
成功率めっちゃ低い。
ガッチガチに武装した「ネガティブ信念ちゃん」に対抗するには、正面からポジティブ戦を挑んではダメ。
まずは、「否定せずに話を聴く」んです。
で、それが
「それホント?」
「絶対そうなるの?」
という連続質問なのです。
「~になって~になるんだ~~・゚・(ノД`;)・゚・」ってヒステリー起こしてる「ネガティブちゃん」に、
「それホント?」って聞く。
すると、「え?」ってネガティブちゃんが拍子抜けした感じに力が抜けるのが分かります。
※ここで無理やりポジティブを押し付けたら、ますます頑固にネガティブに突っ走りますのでNG。
「だって~で~で、だから。。。」
って答えが来たら、
「それホント?絶対そうなるの?」
ってまた聞く。
「だって」
「でも」
「いつも」
とか、「そうなる理由」を言ってくるたびに
「それホント?」
「絶対そうなるの?」
って聞き返し続ける。
しまいにはネガティブちゃんは、
「そうなるの!だって私はダメなんだから!」
みたいに、苛立ってキレたような感じになります。
(「ダメ」の他にも、「出来ない子」「下手」「そそっかしい」「要領が悪い」などがあります)
そうしたら、
「いつからそう思ってるの?」とか、
「なんでそう思うの?」とか、
「誰がそう言ったの?」とか、
聞いてみます。
まあここまででも大分いろんな気付きがあると思うのですが、
自身と現状を客観視する、
「心や感情を俯瞰する」
の具体的なやり方のひとつです。
「もっとポジティブに」とか
「そんなに頭で考えすぎないで」とか正論言われても、
長年そうやって生きてきて、
「それが自分だ」というアイデンティティでもあって、
そもそも今そうなっているのにはそうなった理由、遺伝的要因や成育歴、本人の経験の数々があって、
つまりみんな、ひとりひとり何もかも違うんですよ。
そんな簡単に「正論クソバイス」通りにやれるんだったら誰も悩まないし苦労しないし、心理カウンセラーもスピリチュアルも癒しも、必要ないよねw
ってこと。
「(悩むのも)本人の選択だ」とか
「悩みたくて悩んでる」まで含めて、
自分はどう生きるのか、
すべてその人の自由です。
選んでるのだけど、そこが無意識で、
そうしていることに自覚がないから苦しいし、やめられないし、繰り返してしまうんですけどね。
別にそうし続けてもいつか気付くし、飽きたらやめる時が来るけれど、
↑みたいな内観法をやるのは、それに気づくことを早めてくれて、
いったん気付く感覚を知れば、それ以降は、自分が「そうしている」ときには気付けるようになります。
やがて、「いつも同じ思考のパターンを繰り返している」という自分の心の癖にも、気づけるようになります。
自分が無意識にやっていたこと、
自身の「思考のパターン」「心の癖」を自覚できるようになると、「変える」も、出来るようになるんですね。
これ、「レコーディングダイエット」に似ています。
「食べてないのに太る」と言い張ってる人が、実際に記録してみると結構食べていたと気付いて、
それ以降は食べていること、食べているものに自覚が出てきて、自然と食べ方を見直していき、痩せていく、みたいな。
「それホント?」
「絶対そうなるの?」と聞く、
これを習慣づけることができたら、その頃には考え方、思考のパターンはずいぶん変わっているはずですよ。
何もしないことで完璧になる。
私は喘息があり、時々ヒーリングしています。
胸、肺や気管支のある場所あたりに手を当てて、あとは感覚に任せていると、触れるべき場所(体・細胞)が「呼ぶ」ので、それに従ってヒーリングするのですが、すると、いろんなイメージが浮かんできます。
そういうときには、今の私の「全ての理由」、
喘息症状、
今の身体の状態、
その原因の心、
その原因の過去や過去世、
親や先祖からの遺伝的要因、
すべての、
今や過去、宇宙、あらゆるカテゴリの集合意識、
遺伝・集合意識は、先祖たちのそれも全て、
魂の歴史、
宇宙の歴史、
それらと私の関わり、繋がり、
そういった、「なぜ」「理由」たちのつながり、関係が、一斉に、ダーッと、降りてくる、ような、
一瞬で大量の情報のダウンロードが起こっているような、そんな感覚になります。
それぞれの要因の繋がり、関係関連は、地図のような、地下茎や、アリの巣、ああいう「コロニー」みたいな繋がりの絵のように、あんな感じでいろいろ「ああそうか」って感覚で瞬時に「理解する」感覚。
そういうことが分かりながら、同時に「変化変容」も起こってる、のも感じる。
あらゆることを感じながら、起こっていることを全身で、全感覚で「観察」しながら、
瞬時にそのデータと「同期する」「分かる」=理解する。
そういう感覚が「SOU」というヒーリング。そこで起こること。
それが「終わる」まで、続く。
「私」でありながら、「それら」「全て」と一体で、同じである、感覚。それがSOU。
私のセッション、ヒーリングは、すべてこれを使ってやります。
SOUヒーリングにおいて、私は指揮者であり、監督であり、完璧な観察者でなければならない。
「見届ける者」に徹すること。
「SOU」での感覚はそういうこと。
その状態で、その意識を維持しながら、自分の意識や感覚のバランスを取りながら、すべてが「終わる」まで、ただそこにいる。「ただ在る」感覚。
セッションの最初にはもちろん日本語で話をするし、悩みとか、「こうなりたい」とか、それは、その人への「入口」になります。
私に話してくれることによって「開いた」、その人の中に入るための「門」「糸口」「きっかけ」のようなもの。
そこを入り口に、私は、その人と繋がり、
その人のすべて、
その人の今の状態、
身体や心の「今」を感じながら、その「原因たち」へ触れていく。
「同化」「同期」しながら、一体感覚を拡げていく。
過去や過去世、
遺伝、大勢の先祖たちと、その先祖たちのそれ、
すべての、今や過去、宇宙、あらゆるカテゴリの集合意識、
魂の歴史、
宇宙の歴史、
それらとの関わり、繋がり、
「個」のその人の原因や理由や歴史を感じながら、
あるところからは、それを超えた宇宙、日本語、人間意識の私を超えた、「私」「その人」という「個」のないレベルの感覚、そういう意識の「領域」に到達し、
すると、一瞬、完璧に委ねた、「無」になり、
「終わっていく」のを感じる。
仕上げ。
最後の「仕上げ」のこの時はいつも、
創造神、様々な宗教の神でなく、本当の「神」という存在の、その御業が終息に向かう、神の、「宇宙」の交響曲の終わりのような、
毎回、そういうのを見る感覚になります。
「終わった」ときには、何もかもが過不足なく、一切の歪みも不具合も無しに、
人間意識、「個」のレベルの私が気付けるレベルを超えて、
あらゆるものが、あらゆるレベルにおいて、
全部、全て、何もかも全てが完璧に変化、変容、「再創造」されたと分かる。
入り口は目の前のクライアントであり、その人の悩みや希望であり、
でもそこからSOUの意識になって起こること、「神の領域での何か」が起こって「終わった」あとには、
その人はそのレベルから「再創造」されているから、SOUの前のその人ではなくなっていて、
セッションの最初で言っていた悩み、希望も、
「そのレベルからその人ごと創り変わっている」から、何もかもが「違う」んです。
セッション前の悩みを覚えていなかったり、
言われてもピンと来なかったり、
覚えてはいても他人事の感じがしたり、
最初の「こうなりたい」という希望も、なんかそうじゃない、そういうことじゃない、と分かったり、
さらに、むしろ「こうなりたい」じゃなくて、
「今そうである」ような感覚が既にある、「当たり前」である感覚の自分に気づきます。
今の自分の現状、目の前の現実はその感覚と同じじゃないと分かっているし、セッション前の自分の意識、感覚、世界観も覚えているのに、
もっと深くから、まるで未来の「そうなった」自分と「同化」「同期」しているかのような、すでにその未来を「今」生きているかのような、
そんな不思議な感覚になっています。
いろんな、様々なヒーリング法や理論、仕組みを学んで、自分もたくさんの手法でのヒーリングやセッションを受けて、
仕事として「ヒーリング」「セッション」というものを大勢の方々に実践してきて、セミナーでも教えて、受講生さんたちを見ていて、
そのすべての経験、試行錯誤や実験検証、実践、そのデータの考察、
日常の中にある、現実での人や物事、自分に起こることにおける、スピリチュアル的な理論や理屈での考察、
私のこれまでの人生の集大成、その時間の先にたどり着いたのが「SOU」で、その考え方で、
つまり、
「何もしないことで完璧になる」ということでした。
ヒーリング法や、その理論理屈、
スピリチュアルな法則と言われるもの、その理論理屈、
重力、引力、分子、原子、人の心のエネルギー、
この物質世界が今のようにある理由たち、法則、仕組み、
この物質世界、私たちが「現実」と呼ぶ目の前の物質の向こうにある「要素」、それらの関連、
現実が、物事が、「そう起こる」仕組み、
そのスピリチュアル的な見方、理論、の向こうには、科学的にも説明できるはずの理屈、理由があるはずで、
それらはすべてこの地球の、宇宙の「仕組み」「法則」に到達するはずで、
人のこころと体、細胞、栄養素、病気、その原因、ウイルス、細菌、バクテリア、人の歴史、地球以外の歴史、
人間意識の、そのレベルでのあらゆる「知識」や「理解」は、SOUで起こることが何なのか、なぜなのか、どのようにして起こっているのか、その感覚の中で観たり、感じたことの理解を助けるためのものでしかなくて、
そういった「知識」や「思考」は、ヒーリングを始めるときのとっかかりにもなるし、途中で「ああそうか」って理解の助けにもなるけれど、
「SOU」の究極は「何もしない」こと。
「SOU」は、自分という「個」を超えた意識と一体になり、委ねてやるのだけれど、
人間意識の自分の「知識」や「ノウハウ」で自分でやる、意識ではなく、
神の御業を見て、感じて、理解しながら、
その完璧を邪魔しないよう、観察者としての「分」を超えないように、その仕事において最良であろうとすることが絶対必要。
「優秀な観察者」になればなるほど、神(宇宙、すべてなるもの、創造主)の御業もより大きく壮大に起こる。
シータヒーリングでよく言われる「共同作業」というのは、そういうこと。
優秀な観察者になればなるほど、神(宇宙、すべてなるもの、創造主)との共同作業のレベルも上がる。
観察者としてのレベル、それは、スピリチュアルやヒーリング、現実の学問的知識の習得だけでなく、
心の成長、自分の人生をどれだけ感じて、味わって、消化して昇華してきたか、生き方、人生のすべてが関わってくる。
だから、「ヒーリング」というのは、「習った」から、そのやり方を知ったから、できるようになるわけじゃなく、
たくさん、いろんな手法を「習った」から上達するわけでもなく、
習った知識やテクニックを本当に自分のものにし、生かすためには、自分という人間の「総合力」を上げていくしかなくて、
そうしていくことでしか力もつかないし、ヒーリング力も上がらない、ものなのです。
「これ習ったらこうなります」的なものを求める人はやっぱり多くて、お料理教室みたいな、レシピ集みたいな「お手軽」「簡単」「コスパが良い」ものをね。
だから、そういうセミナーが世には溢れてます。
そういうのは、その時は楽しいし、出来るようになった感覚になれるかもしれません。
でも、ひとりになったら、出来ないし、自信がないし、ってなります。
ヒーリングは、習ったから出来るようになるわけじゃなくて、
習ったことだけじゃなく、日々の、日常の気付き、
大小様々な「なぜ」「どうして」について考えて、
その自分なりの答えを探して、
自分の中で消化して昇華して、
自分の中のあやふやな部分、自信の無さの原因を自分で見つけて、
見つけたら解決するために行動して、
引っかかること、
もやもや、
その全部に対して心から納得できる答えが見つかるまであらゆることをして、
一つ一つのことを丁寧にじっくり腑に落としていく、
そういうコツコツの先に、本当の自信も、出来る、出来た、実感もあるんです。
そうしていくうちに、気付いたらいくつものことが出来るようになってた、
当たり前に、普通にやっていることが増えて、出来ることが増えて、それに関して自信がついてた、簡単にやれていた、ことに「気づく」、
そういうものなのです。
「なりたいのになれない」「したいのにできない」のはなく
SOUセッションご感想いただきました
先日は本当にありがとうございました。
ヒーリング前のお話も聞くことができて本当に良かったです。
日頃普通に考えていることが貧乏マインドだと知り、違う側面からの気づきを得ることができました。
SOUヒーリングを受けて、目が覚めて顔を何気に触ったら、いつもと違う!
ハリがある!
ハッとするほど感触が違ってびっくりしました。
そして「私」感、「私の世界」感がなんとなくあって、昨日までの私の感覚とは別物になっていました。
それと面白かったのですが、今まで毎朝健康のために飲んでたものがあるのですが、準備をしたら、
「そんなん、飲まんわい!!」と感じ、
「あ~今までいやいや飲んでいたんだ」とウケました。それとなぜか関西弁(笑)
あれから数日経ちましたが、次の日に感じた「私」感って何だろうと思ったら、なんとなくですが、意識が下のほうに来ている。
いつも脳でいろいろ考えていたのが、軽くなってストンと、私の意識が下に下がった?感じです。頭の重さがないのです。
もちろん思考もあるのですが、なんとなく思考の存在感が薄いというか、支配されていないというか、「私」がある。
そんな感じです。
思考が湧いてきても、
「あ、来たね。そうなんだよね。そう思うよね。」と冷静な感じです。
そして主人のことですが、今ではもう、「私の人生に色を付けてくれて、面白みを足してくれてありがとう」となっています。
「人生いろいろあるよね。私にもあるし逆に面白いんじゃない?」って感じです。
でも、3日後に家事のことでイライラしちゃってまたワークをしました。
私はいろいろと感情を感じたかったみたいで、それでイライラした感情を感じさせてくれてありがとうです。
ヒーリングを受けて2日後に初めて会った人から「肌がきれいね」と言われました。
そんなこと言われることはあまりなく、びっくりしました。
ありがとうございます。
めちゃうれしかったです。
肩の痛みも軽くなり、仕事がしやすくなりました。
それと2回あったのですが写真や物を見て、涙が出そうになり、「エネルギーが高い」と受け取れました。
なんか「うわっ」となるのです。それもびっくりしました。
本当に先日は長い時間、とても貴重なヒーリングをしていただき本当に感謝しています。
また何かありましたらメールさせてください。
またよろしくお願いいたします^^
先日「マインドシフト基礎セミナー」を受講された方の、ヒーリングご感想です。
「SOUヒーリングは受けてみないと何なのか、どう変わるのか分からないし、受けた後もやっぱりうまく表現はできないけど、「違う」ってことだけ、分かる」のですよ。
私は、セッション前にその人がいろいろ、いろいろ話す、並べたてる、「これをこうするために」みたいな、思考だけの、頭でっかちでガチガチの、心の奥の本音、本心からの願いとずれまくった「こうなりたい」には興味がありません。
大体、その「こうなりたい」が本当の望みなら、こんなとこ(私のセッションとかセミナー)来なくてもとっくに叶ってるしそう生きてるはずなんで、
その人が悩んでるそれは、
「なりたいのになれない」
「したいのにできない」のはなく、
「なりたくないからなってない」し、
「やりたくないからやってない」だけってこと。
自分で自分をだめだと思ってる、
自分で自分をダメだと叱る、
その劣等感、罪悪感から逃げるために、世間的に分かりやすい成果、能力が欲しいだけ。
褒められたいから。
認められたいから。
「良い子」って思ってほしいから。
「良い子」って思われれば思われるほど、見捨てられるリスクは、恐れは減る。
「良い子」って思われるほど、可愛がられて、安全で安心だから。
そういう、子供時代(または過去世、遺伝的トラウマ)からの拗らせた、傷、愛に飢えた心、
その奥の原因のすべてからをまず、まっさらに、解決してリセットしてしまうことが必要で、
そこが治れば、「やりたいこと」なんて実はシンプルで、単純で、「たったそれだけ」でいいのだと気づくし、
もうその時には、勝手にそのようにその人は生きだしてるのです。
私のセッションは、受けてみないとどんな感じか分からないけど、
受けてみたら「違う」ってこと、「変わった」ってことはすごく実感できる、
けど、「どこがどう変わった」とかは分からない、説明できない、
そういうのです。
つまりこういうこと↓