「受けたい…でも…」って悩んでる人へ。
私のブログを読んで、私のメニューに興味を持って、見てくれた人で、「これ受けたいな」って思ってくれた人。
「どんなのがあるの?」って覗いてみて、値段見てさっさと閉じた人は別。
そういう人はそれほど切羽詰ってないから、もっとライトなので十分なのでしょう。
だけど、
「受けたい。。。でも」って、かなり悩んじゃった人。
何度か見て、そのたびに「どうしよう」って迷って、閉じて、また後日見て、とか繰り返してるような人。
そういう人はね、たぶん、ライトなお安いのでは、その悩みも苦しさも、どうにもならないんじゃないかと思います。
軽めのだったら、おそらく、そういうのをいくつも受けないと足りないでしょう。
そして、高い確率で、その途中で挫折して、その中途半端な苦しさのまま、悶々としたまま、長い時間を過ごすことになります。
値段で諦めて、他のを受けても、きっと満足できなくて、
たぶん、「あれだったらどうだったんだろう」って、先々何度も思うでしょう。
私のセッションを受けたことがある人なら、「マインドシフト基礎セミナー」か、「マインドフルネスコース」はおすすめです。
ここでしっかり身に着けたら、今後、自分で自分の心(いわゆる「ブロック」とか「思考パターン」)をケアできるようになります。
この先ずっと、何かあるたびに。
藁にもすがる気持ちで誰かのブログをハシゴしたり、
本を読んでやってみてがっかりしたり、出来ない自分に落ち込んだり、
その時は癒されたのに、しばらくたったらまた心がつらくなって、そこで次の解決方法を延々探したり、どれだったら心が治るのかと迷ったり悩んだり、
「いつまで試し続ければ気持ちが納得できるんだろう」と絶望的になったり、
そういうループから解放されます。
それって、ものすごいメリットだと思うのです。
(少なくとも私はそうでした)
本当はやりたいのなら、やってみたらいいと思います。
「どうやったら出来るか」に頭使って、行動して、勇気を出して、やってみたらいいと思います。
「無理な理由」「諦めるべき理由」なんていくらでもひねり出せるし、そうやってても平和に普通に生きていけるけど、
この怖さを超えて、決めて、行動すると、
セッションとかセミナー前でも、「解決後のエネルギー」に変わってるんですよね。
(具体的には、申し込んで、支払って、その未来が「決定」「確定」になった時点で、エネルギーは「受けた後の波動」に変わってます)
これもよく聞かれるので記事にしました↓
本物の直感なのか、ただの衝動なのか分からない時。
「どうしたらいいのか、どうしたいのか」って悩むとき。
本物の直感なのか、ただの衝動なのか、
「Aと決めたら怖いけど、
Bにもなんかピンとこない、
でもC案も浮かばない」、
「新しいやり方を試したい、
でもそうするとこれまでのすべてをぶち壊すことになる気がする」、
「何となくあっちだという気がするけど、
だからって今思っている方法でいいのか、
『もし~だったら?』と自分に聞いてみてさえも、どっちがいいのかほんとにわからない」
みたいな。
そういうときって、何日も悶々と悩んでも、あらゆるシュミレーションしまくって考えてもスッキリ答えが出なくて、
決めたいし、決めなきゃなあと分かってるのに決心がつかない、
決められないまま時間ばっかり過ぎていく。
「はたして今無理やり決めることが正しいのか、
もう少し待って自然と決められるまで待ったらいいのか、
でもそれってただの先延ばしかもしれないし。。。」
「失敗してもいいじゃん」
「間違いなんてない」って頭で分かってても、
そういうのじゃない、
そんなので決められないのとも違う、
先延ばしにしたいのかというと、
本心ではもう今決めたいのに、
なんかどうしてもあと一歩「エイ」っという勢いが出ない。
一日のうち、一瞬、「あ、やっぱりそうしよう」って思うけど、
次の瞬間「ほんとにそれでいいのかなあ」って思ってしまって、また最初の「決められない」に逆戻りして、
一日中、ウダウダしながらああでもないこうでもないと考えて、
今日という日も昨日のように、何も進まないまま過ぎていく。
こういうときって、
その「あと一歩」がスッとでない理由、
どこか納得いってない「何か」があるんだけど、それがまだ自分自身で分かってないし気付いてない、
ということかもしれないので、急がなくていいのなら「決めない」もあり。
または、「今決めないとどっちの選択も失う」を選択する。
つまり「どっちも捨てる」。
「何も決めない結果」の様々な予測、
大抵はそれがネガティブな予測だから「今どっちかに決めなきゃ」って焦るんだけど、
あえてそれを受け入れて、
全部白紙に戻して、いったんその問題から離れる。
まあそれも怖いけど。
もしかして、それが一番怖いから、
本当の願いはそうした先に見えるから、
その「願い」は、自分の中でのタブー、
「あってはいけない」
「そんなこと許されない」
と自分自身が思ってることで、
それを選択した時の罪悪感、「責められる」怖れから、「決めなきゃ」と自分で自分を追い詰めてるだけかもしれない。
「Aでもない」
「Bでもない」
「でもC案も浮かばない」と思ってるけど、
本当は、「どっちも選びたくない」先の「何か」で、
そこにある「本心の願い」で、
それは常識的に、道徳的に「ダメ」だと世間で言われていることで、
だから、「そんなことしちゃいけない」と無意識に選択から排除していて、
「どうしたらいいか分からない」になってる、のかもしれません。
私の経験上だけれど、
迷った時一番正しいのは、
「一番怖いこと」。
迷った時、はっきり言える本当の本心は、
「自分の本当の気持ちが自分でもまだ見えないから、今はまだ決めたくない」だったりします。
ひらめいたらすぐ行動してみて、次々それをやり続けていろんな結果を経験してきた人は、ある程度自分の本心や直感を見極める力が付いているけど、
親や世間に対して「良い子」「常識人」でいた人ほどそういうのやってきてないから、
今自分の内にある、何となく、フッと一瞬感じた「それ」が「本物の直感かどうか」を見極められないんです。
これはもう、身体で体感体験して知っていくしかないです。
「どれかに決める」も
「どれにも決めない」も選択で、
自分が選んだその体験を味わいながらスキルアップしていくしかありません。
「今ある選択のどれかに決める」も、
「どれにも決めない」も、
「悩み続ける」も、選択。
でも、私自身が「決めたい」と思った時に、「~だったら?」とかやっても自分の心が分からない時にやるのは、もうひとつ、
「誰かに相談したとしたら何と言って欲しいか」を想像してみること。
そこで言われたいこと、それが、自分の本心の望みだと思います。
本当はそうしたいこと。
その答えは、スッと受け入れられるときと、
「そうはいっても」とまたそこでゴチャゴチャ言い訳する感じのときとあるけど、
その時の迷いの本心は、図星を突かれてしまったから、
「でもそんなことしていいのかな」という自分自身の罪悪感からの戸惑い、自分の中の「常識」や、これまでの「当たり前」が反応してるだけで、心の底では自分の答えが分かってるのだと思います。
ただ、まだ真正面から認める勇気がないだけ。
自分の本音の欲に開き直る覚悟を決められず、往生際悪く足掻いてる。
で、「迷った時どうしたらいいか」の私のやり方は、
①「~だったら?」という、それぞれの選択の不都合が全部解決したらどうするのか、ということを自分に聞いてみる。
②それでも決められない時は「誰かに相談したら何と言って欲しいか」を想像してみる。
なんだけど、これを補強するためというか、確認のために、「ほろ酔い時」の感覚で考えてみる、かな。
ほろ酔いのときって、頭でっかちでいつも理屈であれこれ考えがちな人は、その面倒な「理性」というものが働かなくなるので、
本当の気持ち、「本当はこうしたいこと」が分かりやすくなります。
なので、「その感覚だったらどうするか」を感じてみて、
それと①②の結果を総合的に判断して自分の気持ちを確認したりします。
「泥酔」だと、ダメ。
あくまでも、意識はわりとはっきりしてる、けど気持ちが緩んでいい感じにリラックスしてる状態、その感覚で。
とはいえ、
どんなに考えても慎重になっても、
それが直感だとしても、
衝動だとしても、
「絶対間違わない」
「こうしたら絶対に成功する」
なんて方法はありません。
「間違っても失敗してもいい」と覚悟できなければ、何も決められないと私は思います。
「間違いたくない」
「失敗したくない」
「後悔したくない」
と思いすぎて慎重になりすぎて、あとからそれが「後悔」というものになるかもしれないし。
100%望んだ結果かそれ以上にならない限り、何かしらの失望や後悔ってあるから、
「いっさい後悔しないことがそもそも無理」だと腹括ったほうが、後悔は少なくなると思います。
「絶対間違いたくない」
「絶対失敗したくない」
「絶対後悔したくない」と思っても、
それが嫌だからと何かに決めても決めなくても、
延々迷っていても、
時が過ぎれば必ず「何らかの結果」は出て、
そこには必ず何らかの「後悔」というか反省点はあって、
それを踏まえて「じゃあ次はどうするか」をまた選択する、そういうもの。
「どうしたらいいか知りたい」
って思いながらこれを最後まで読んだ人。
そういう誰かの言葉、
ノウハウをハシゴしがちな人は、
「絶対間違いたくない」
「絶対失敗したくない」
「絶対後悔したくない」と思ってるんだってこと。
「絶対間違いたくない」
「絶対失敗したくない」
「絶対後悔したくない」
という、「間違う」「失敗」「後悔」を見ていて、
こういう人は、どんなもの、出来事にもそれを探すマインドで、たとえ必死で吟味して100円のお菓子を買ったとしても、後々どこかに失望や後悔を感じるものです。
「常識」や「道徳」や「当たり前」を選び続けたら、この世界的な「失敗」の可能性は低くなるので、それもいいと思います。
「ローリスク・ローリターン」
確実さを求めるならそれ。
「ワクワク」とか、そういうのを求めるなら、「失敗してもいい」覚悟で「怖い方」を選べばそうなります。
「ハイリスク・ハイリターン」
「大成功」の可能性もあれば、この世的には「大失敗」の結果もありえます。
だったら、「ハイリスク・ハイリターン」を続けたらいつかこの世的な「大成功」するのかというと、そんな保証はありません。
ある日、この世的な「大成功」をするのかもしれないし、
その逆の結果ばかりで、大多数の人からは「クズ」と言われたり、「最低」と言われたり、憐れまれたり、するかもしれない。
でもたぶん、そういう生き方をしてきた人の人生は、宇宙的には「豊か」なのかもしれません。
何を選んでどう生きても良い。
よく言われる「そのままで完璧」は、そういうことだと私は考えています。
ネガティブ思考が根深過ぎてヒーリングでさえ効かない。
悩んでるときって、ああだこうだとあれこれあれこれ考えすぎて,
「~になったらどうしよう」ってお先真っ暗予測が次々浮かんでグルグルして抜けられなくなる、ってこと、あると思います。
そういうグルグルを抜けられる方法のひとつ。
「~になったらどうしよう」に対して、
「それほんと?」
「絶対そうなるの?」
って聞き続けること。
脳は「質問」されると「答え」を探します。
「もっと良いことは?」
みたいな無理やりポジティブに持っていくような質問は、「めり込みスパイラル」になりやすい人には不向きです。
だってね、良い想像をしてもしても、そのたびに
「そんなわけない!」
「そんなにうまくいかない!」
って大音量で否定する声が勝ってしまうから。
「ネガティブにめり込みやすい人」は、
「うまくいくはずない」
「絶対失敗する」みたいな世界観なので、
いついかなるときでも、
どんなにうまくいっているときでも、
最終ゴールは「うまくいかない」なのです。
そこの信念がもんのすごくガッツリ入ってる。
「自信がない」という結論は、そう簡単には揺らがない(笑)
このタイプの人が無理やりポジティブに持っていこうとするのは効率悪すぎ。
成功率めっちゃ低い。
ガッチガチに武装した「ネガティブ信念ちゃん」に対抗するには、正面からポジティブ戦を挑んではダメ。
まずは、「否定せずに話を聴く」んです。
で、それが
「それホント?」
「絶対そうなるの?」
という連続質問なのです。
「~になって~になるんだ~~・゚・(ノД`;)・゚・」ってヒステリー起こしてる「ネガティブちゃん」に、
「それホント?」って聞く。
すると、「え?」ってネガティブちゃんが拍子抜けした感じに力が抜けるのが分かります。
※ここで無理やりポジティブを押し付けたら、ますます頑固にネガティブに突っ走りますのでNG。
「だって~で~で、だから。。。」
って答えが来たら、
「それホント?絶対そうなるの?」
ってまた聞く。
「だって」
「でも」
「いつも」
とか、「そうなる理由」を言ってくるたびに
「それホント?」
「絶対そうなるの?」
って聞き返し続ける。
しまいにはネガティブちゃんは、
「そうなるの!だって私はダメなんだから!」
みたいに、苛立ってキレたような感じになります。
(「ダメ」の他にも、「出来ない子」「下手」「そそっかしい」「要領が悪い」などがあります)
そうしたら、
「いつからそう思ってるの?」とか、
「なんでそう思うの?」とか、
「誰がそう言ったの?」とか、
聞いてみます。
まあここまででも大分いろんな気付きがあると思うのですが、
自身と現状を客観視する、
「心や感情を俯瞰する」
の具体的なやり方のひとつです。
「もっとポジティブに」とか
「そんなに頭で考えすぎないで」とか正論言われても、
長年そうやって生きてきて、
「それが自分だ」というアイデンティティでもあって、
そもそも今そうなっているのにはそうなった理由、遺伝的要因や成育歴、本人の経験の数々があって、
つまりみんな、ひとりひとり何もかも違うんですよ。
そんな簡単に「正論クソバイス」通りにやれるんだったら誰も悩まないし苦労しないし、心理カウンセラーもスピリチュアルも癒しも、必要ないよねw
ってこと。
「(悩むのも)本人の選択だ」とか
「悩みたくて悩んでる」まで含めて、
自分はどう生きるのか、
すべてその人の自由です。
選んでるのだけど、そこが無意識で、
そうしていることに自覚がないから苦しいし、やめられないし、繰り返してしまうんですけどね。
別にそうし続けてもいつか気付くし、飽きたらやめる時が来るけれど、
↑みたいな内観法をやるのは、それに気づくことを早めてくれて、
いったん気付く感覚を知れば、それ以降は、自分が「そうしている」ときには気付けるようになります。
やがて、「いつも同じ思考のパターンを繰り返している」という自分の心の癖にも、気づけるようになります。
自分が無意識にやっていたこと、
自身の「思考のパターン」「心の癖」を自覚できるようになると、「変える」も、出来るようになるんですね。
これ、「レコーディングダイエット」に似ています。
「食べてないのに太る」と言い張ってる人が、実際に記録してみると結構食べていたと気付いて、
それ以降は食べていること、食べているものに自覚が出てきて、自然と食べ方を見直していき、痩せていく、みたいな。
「それホント?」
「絶対そうなるの?」と聞く、
これを習慣づけることができたら、その頃には考え方、思考のパターンはずいぶん変わっているはずですよ。