よく、「あの人ユーモアあるよねー。」
なんて耳にすることあります。
そもそもユーモアって何だろう
英語で書くとhumour。
hは発音しないのよね。
ちょっとwikiってみたら、
「人を和ませるような《おかしみ》のこと。かつて日本語ではこうした表現を諧謔(かいぎゃく)と呼んでいた。日本語では「有情滑稽」と訳されることがある。」
だそうな。
諧謔って、、、、一発変換出来ないくらい初めて耳にしました。
うーん、、、、難しい
概説を読んでみたら、
ユーモアのきちんとした定義は難しいみたいです。
そりゃー小難しい表現になるよね。
私が理解できないわけじゃない
、、、と信じたい。
もっと読んでみると、
ユーモアは、
それがイギリス人の気質との親和性が高いことから、
イギリスを中心に発達したものが(世界的に見て)特に知られている。
とか、
人間同士のコミュニケーションをするときに(会話をする時に)、相手を和ませ、会話を弾ませるために用いられる事もある。
また大勢の人々を相手にして話す時など、聞き手(聴衆)を和ませ、場の空気を和らげるためにも用いられる。
相手の立場を思いやり、自分と相手を対等の階梯に置いて接する人にしかユーモアのセンスは持てないと言われる。
相手を見下したり、逆に卑屈になったりする人には、ユーモアの資質が欠けるとみなされる。
などど記述されています。
つまり、ユーモアってのはコミュニケーションスキルなんですね。
もちろん、きちんとした定義はできないのですが、
ただ「面白い人」とは少し認識が違う印象。
もっと人間の本質にあるものなんだろうなぁ。
特に思ったのが、
「相手を見下したり、逆に卑屈になったりする人には、ユーモアの資質が欠けるとみなされる。」
これ、できる人に惹かれる。
面白くなくていいからユーモアのある人になりたい
完全に色眼鏡のない人っているんだろうか。
なんか不思議なもので、
ステレオタイプにならないよう意識していても、
例えば同じ人種から何度も嫌な思いをさせられたら、
もうそのタイプの人が全員そうであるって思っちゃいます。
それが人間。
だから◯◯人は、、、
だからゆとりは、、、
だから若者は、、、
なるべく一括りにしないで、
その人個人がそうであると思うようにしてます。
実際、そうじゃない人も大勢いるからね。
これが出来るだけで、
いや、出来なくても意識するだけでも世の中、大きく変わるんじゃないかなぁ。
じゃないと、ほんと人間の統率は機械任せしかなくなっちゃう気がする。
全人類となんて不可能だから、
先ずは自分の周りの人から一歩ずつ、ね。
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へば