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音楽の趣味

ろくに楽器も弾けない自分が、好きな音楽と言えば、売れてる音楽をなんとなくいいなぁで

聴き始めた、ってのが大抵の理由で。

それでもう、三十年以上聴き続けてたりするものもあったりするので、人間の精神って

案外我慢強いもんだなぁって思ったり。

 

そんな中、明らかに他人の影響で好きになったバンドの音楽ってのが確かにあって、

これは由来から全部わりと覚えているもんです。

今回は、これを書き出していこう……と思ってたのですが。

 

わずか、1アーティスト(バンド)を書くだけで、この項は埋まってしまいそうなんですよね……。

 

くるり。

 

               《クリストファーが居た頃の動画》

 

きっかけは、やはりはっきりと覚えています。

 

もともと、伊集院さんのラジオを聴いていたつながりで、ぐっと交友関係が増えた時代があって。

その中の一人、いまやラジオ構成作家として押しも押されぬ方になっている、あの方。

この方にまず、「中村一義」「100s」を教えていただきました。

 

これは、僕ら世代……言ってみれば「X」「暴威(w)」世代にはまったくなかった発想の音楽

なんですよね。

それに衝撃を受け、これまた長く聴くことになります。

そして。

 

1978~80年世代の人は、この世代……いわば「優しい、センシティブな音楽」世代……にあたりまして。

その世代のど真ん中であるある方……に、「中村一義が好きなら!」と、「くるり」を教えてもらいました。

 

その人のうちに遊びにいった帰りに、「是非これを聴いて!」と渡されたのが。

 

「くるり」の、"Team Rock"と、"The World is Mine"でした。

 

実は、例の構成作家の方もくるりのファンであり、自分もそれに引きずられて "World's end supernova"と、

「ワンダーフォーゲル」だけは知っていましたが。

 

いやぁ。なんだろう。

自分たちとは、感性の使いかたというか、音楽と歌詞が「体の奥の届く場所」、それが全然違う。

そんな曲たちでした。

 

今更くるりのすごさを語ったところで、「知ってるよ」「素人は黙れ」としか思われそうにないので

このくらいにしておきますが、このCDアルバム2枚は、今でも時々聴き直しています。

 

World's end supernova は、なんであんなに聴くたびにため息がでるほど「すげぇなぁ」って思うんですかね。

 

アルバム版のアレンジだと、キーボードの音で、2小節ごと頭に一発だけ、妙な不協和音が入るんですが。

この不協和音が、実は一曲通した時の、全部のコードのルート音(CメジャーならC、DマイナーならDの音)をまとめてジャーンと鳴らしているのですよ。

 

だからもし、ギターやベースが、それぞれのコードの音をなぞらなかったとしたら、このWorld's end supernovaという曲は、たった1コードで表現できる曲、ってことになるわけです。

 

ただの不協和音がから発展していって、ジャジーでしかし踊れる、実に気持ちいい音楽を奏でていく。

それがなんというか、斜陽のような哀愁を帯びてるのがまたいいんですよ。

今の一瞬、この音楽に殉じている。そんな内容の歌詞に合わせてこの音楽が流れると、自分の中で

完全に輝きを失った情熱やら、思い出やら、記憶やらがごった煮になって。

あのときもらったCDと、それを聴きまくった過去の自分と重なって、もう一度頑張ってみようかな、なんて

思えるのです。

 

今回は真面目な話でした。終わり。

この夏、好きな味

アラフィフなんていう年代になってくると、さすがに食欲は往年にくらべ、下り坂となります。

まぁ、それでも、太るペースがさらに上がっているので、差し引きは0かそれ以上となるわけですが。

 

それに、食欲が自分比較でいくら落ちたところで、同年代比較で人の1.5倍くらい食ってたら、ま、そりゃ太る。

 

それでも、こんな食事が、あこがれとなり、うまいと思うようになりました。

 

 

くまの限界食堂より 新冷奴

 

 

関西風の細ネギを切って塩、ごま、ごま油を入れて、ねぎの簡易ナムルを作る。

それと、しょうがやみょうが、青葉の細切り、みじん切りを添えて。

 

豆腐は、白だしを氷水で薄め、そこにスプーンで一口大にとった豆腐を浮かべていく。

 

これだけ。

だしごと豆腐を取って、好きな薬味を好きなだけ乗せて、醤油をかけて食べたり。

きゅうりを薄切りにして味噌を入れたやつをごはんにかけて、冷や汁茶漬けにしたり。

食欲がどうにもないとき、さっぱりと豆腐がいただけます。

 

やってみたけど、これほんと、天才の所業です。

 

なお、ネギナムルに入れる塩や、出しにつかう白だしは、あまり強く入れすぎると

塩味が濃く、食べづらくなるので、むしろ薄めに塩味をつけておいて、あとでかける

醤油で調整するのがベスト、かと思います。

 

暑い夏となりましたが、どうにかのりきっていきましょう。

カルボナーラと向合う

以前、

「パスタと卵は合わない気がするので、カルボナーラはあまり好きではない」

と書いた手前、前言を翻すようでたいへん遺憾ではありますが。

 

最近、カルボナーラにはまっています。

 

きっかけは、小倉知巳シェフのカルボナーラの動画を観たことであります。

 

 

 

カルボナーラという料理……というより、イタリア・パスタ料理には、

「少ない素材、少ない調味料の組み合わせで味を完成させる」

という、和食にも通じる観念で構成されているものが多くあります。

カルボナーラも、その一つでして。

 

味つけとしては、ほぼ塩胡椒とチーズで決めてしまう。

材料はベーコンと卵とスパゲッティ。

これの組み合わせで、一つの皿を表現する。

 

……これはカレーにも言えることなのですが、使う材料・調味料(カレーで言えば、スパイス)が

少なければ少ないほど、一皿の個性はより如実に出るもののようで。

 

作り方によって、それこそいろんな顔を見せるのが、カルボナーラという料理であります。

 

さて、そのカルボナーラ。

生クリームを入れるか論争。使うチーズは何か論争。にんにくを入れるか論争。肉はベーコンなのかパンチェッタなのかグアンチャーレか論争。等々。

使う材料が少ないだけに、その作り方には千差万別あり、その一つ一つが戦争になるほどの個性のぶつかり合いを発揮するわけで。

ま、結局は、自分で食べてみておいしいそれが正義であるんじゃないの、と、私なんかはこのように思うわけです。

 

私の好みとしては。

生クリームではなく、牛乳を入れ。

チーズは、ペコリーノロマノをたっぷりと。

卵は、卵黄のみを(パスタ100gにつき)一個。

肉は、ベーコン。

そして、にんにくとコンソメを入れる。

 

これを、自分のジャスティスとしています。

 

よく、「現地ではこう作るのだからその通り作るべきだ」という理論を展開する方がおられますが。

実は、現地のカルボナーラは(シェフ小倉知巳氏によると)

「卵が炒り卵みたいになった(いわゆる失敗の)カルボナーラもわりとちゃんとしたリストランテで出されたりする」

らしいので、結局現地が正義かというと必ずしもそうじゃないわけなんですよ。

 

そして、私は日本人ですので、やはりそこは日本人の舌とか、提供された料理の味わい方でありますとか、時間でありますとか、そのような環境によって、材料もまた左右するべきである、と考えるわけです。

 

生クリームじゃなく牛乳を入れるのは、生クリームなんていちいち普段使いで利用できないからですし。

牛乳を入れるのは、卵が固まる力を弱らせたいためですし。

ペコリーノロマノを使うのは、味の好みが私に合っているからで。

卵を卵黄だけ使うのは、白身は低温で固まりやすく、出来上がったパスタも(炒り卵状にならないよう気をつけるなら)熱々で食べるには、卵黄だけとした方が結局理に適っているからです。

ちなみに、料理を熱々で提供するのは日本特有の癖のようなものらしいですね。

 

作り方としては、本当にカリカリにしたベーコンと、半カリカリのベーコンを焼きます。

オリーブオイルで炒める時に、途中でベーコンを少し取り出すと、このようなことになります。

そこへにんにくのみじん切りを入れ、色づいたら牛乳と塩、コンソメ、砂糖少々を入れて沸騰させ、火をとめておきます。

このとき、けっこう牛乳はたぷたぷに入れます。この牛乳が少ないと、あとでソースがなめらかになりません。固すぎるソースになります。

塩を入れて味の調整をしたら、そこへ茹で上がったスパゲティを入れ、火にかけて沸騰させ、粉におろしたペコリーノロマノを入れ、一度よく混ぜます。

火を止めて、卵黄を入れ、ゆっくりと混ぜ、ソースに粘度が付いてきたら器に盛って、取っておいた半カリカリベーコンを乗せて完成。黒胡椒をたくさん振っていただきます。

 

実においしい。

カルボナーラを作ると、日本人の私にとっては、塩味という味覚の「上の部分」と、牛乳・チーズのコクという味覚の「下の部分」が強調され、真ん中の、いわゆる旨みが薄い感じがするのですよね。

まぁ、本来はその真ん中の部分はベーコンなりパンチェッタなりチーズなりの旨みが担う構成なのですが、旨みに慣れ親しみ過ぎた日本人にはそれでも足りない。

だからコンソメを入れてしまうわけです。

あまりいいことではありません。出来ればベーコンなりチーズなりの持つ旨みだけで満足する舌を作る努力をしたほうが、健康にはいいかも知れませんね。

 

というより、カルボナーラが健康にいいかっていったら、そんなわけはないのでしょうけれども。

シンウルトラマンの裏で

シンウルトラマンが絶賛公開されている裏で、ネットフリックスでCGアニメのあのクソつまらないウルトラマンの2シーズンが公開されたの知ってました? 一期見てマジでつまらないから驚いたんだけど。

だって、セブン率いる特殊部隊がラスボスのアジトに突入するときに、玄関のドアから堂々と突っ込んでって、そのドアに仕掛けられてた爆弾で全滅するってミスタービーンかと思うようなアホな作戦かますアニメです。度肝抜いたよ。

二期も絶対につまらんと思ってみたら、さすがのつまらなさ。そりゃ話題にならないはずだ。

 

YouTubeに岡田斗司夫さんの切り抜きがよく上がる。

この人はお話が上手ですね。宮崎駿の作品の解説とか分かりやすくて、ちょっと見てみようと思った。

ただ、話は上手だけど、面白くないんだよな。説明がうまいだけで。

社長系Youtuberにはまりはじめる。

社長系Youtuberというジャンルがあることに、最近気づきました。

 

きっかけは、マ○○リ社長とかいうなんかよくわからん青年起業家が、自分磨き系の

有料セミナーで人集めをして儲けようとしてたのが、コロナとか内容の稚拙さとか

いろんな理由で破綻してたいへんなことになりましたね、という結末を迎えたことから、

意外とこういうのの需要って高いんだなぁと思ったことでありました。

 

ずっとそういうのを選んで見てると、おそらくAIが学習するんですね。

しばらく自分のショート系動画は、こんなのばっかり上がるようになりました。

 

春○開はまぁ、まだ爽やかなゲス、という感じで楽しく見れたのですが、青○王子とか

名前も覚えらんないような泡沫系飲食チェーン起業家まで行くと、ブラックな体育会系

論にいかに脚色してそれっぽい美談にしてやろうかと凝りに凝ってる努力が垣間見えて、

面白くはあったものの品性の貧困さの方が目についてしまい、苦笑するしかなかったり。

 

ながの社長のショート動画はそんななかでも、群を抜いて面白かったですね。

部下の子が社長の部屋でキャンプ用品つかって天ぷら揚げたり、カレー作ったり、

スイーツ作ったり。で、それが全部うまそうで、社長も

「ここ会社だぞ?」

って言いながらそのできあがり楽しみにしてんの。

o(^ - ^)o○こんな顔して。

 

それにしても。

成功者の自分語りってやつは、こうも醜悪なものかね。

まだ、自己啓発本の延長のような自分磨きについて語ってるうちはいいのだけど、

得てしてネタ切れ起こしてスピリチュアルに走りはじめ、だんだんとその人自身の品性下劣さが

漂い始めて酸っぱい臭いがしてきちゃう。

ビートたけしみたいに、

「カネの話ってのは本来下劣なもんなんだから、出来るだけ喋らない方がいいし、喋る時は相手に面白がらせる技術が必要」

って語るくらいの慎重さを求めたいところ。

 

まぁでも、それはそれで面白いから見ちゃう。

マネーの虎の社長たちばりの、転落人生を願って。

(なんだ。お前が一番ゲスじゃねぇか(笑))