少しだけ昔のテレビドラマについて | ケツァルコアトルって何?

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最近、ブログ名を変更しました。健康のこと、スピリチュアルなこと、映画のこと、パソコンのこと、ドラマのことなどを書きたいと思います。

私は会社勤めを始めてからテレビドラマを、というよりはテレビそのものをあまり見ることはなくなった。代わりにパソコンをいじるようになった。会社勤め20年、その後、うつ病で退社。現在も働かない日々が続いている。今はなぜかとてもテレビドラマが見たくなり、レンタルビデオで借りて見ている。それも少しだけ昔のテレビドラマだ。

最初、それは「鈴木先生」から始まった。2011年に放送されたもので中学2年生をターゲットとした学園もの。テーマは一つ一つが重くとても連続では見られないものだ。私はどちらかというと「金八先生」世代なので「鈴木先生」を見たときは少なからずショックを受けた。テレビ視聴率はいまいち伸びなかったらしいが、実はインターネット配信での視聴率はJINに次ぎ2位だったらしい。この理由は多分、テーマが重すぎてとてもお茶の間で家族団欒の中で見られるような代物ではないということだと思う。もちろん、内容は素晴らしい。しかし、家族で見るには恥ずかしい。独り暮らしなら見られる。とか、録画して後で見てみる、とか。そんな理由が視聴率に現れてるんじゃないかと思う。鈴木先生を演ずる俳優さんも個人的には初めて見る顔であり、演出も独特なのでとても興味深かった作品だ。

次ぎに見たのは、いや、現在、まだ、進行形だが「R-17」という作品だ。これは2001年の作品で、中谷美紀が高校のスクールカウンセラーとして赴任し、生徒の抱える問題をめぐって繰り広げられる物語だ。R-17はセル専用レンタル禁止なのでDVDを購入した。R-17はセル自体が廃盤されておりなかなか手に入らず、ヤフオクでようやっと手に入れたものだ。「R-17」という意味深な文字だけがなぜか頭にずっと残っていて、いつか見てみたい作品でもあった。
この作品もまたテーマが重く連続では見られないくらい重い。R-17の意味は最終章で明かされるらしいのだが、まだ、そこまで見てないので少しドキドキしている。中谷美紀という女優さんは個人的にはとっても高く評価している女優さんだ。何か体当たりして演技しているような気迫が感じられる時がある。だが、忘れてはならない。もっと大物がいるのだ、この作品には。それは桃井かおりである。この人は一見ダメダメな人に見えるけど、ストーリーのポイント、ポイントで実は重要な役割を果たしていることがある。そういう時だけかっこよく見える。いや、桃井かおりという人は、本当の意味でのかっこよさを経験上、知っているのだ。多分。だから、あのような演技ができるのだろう。

次ぎに見てるのは「相棒」という刑事物。2000年から始まっていて10シーズンもあるというではありませんか。こんなに長い刑事物だったとはつい最近まで知りませんでした。水谷豊扮する杉下右京刑事とその相棒で難事件を解決しているもの。右京刑事は紅茶が好きで、頭がとてもよく切れる、優秀な刑事。だけど、個性的であるがゆえに周りから疎まれ、特命係に任命されている。杉下右京は見た目はインテリ(頭脳派)で冷静、沈着なイメージがある。だが、犯罪は絶対許さないという熱い心も持っている。

わたしはこの作品を見つつ、昔あったあるテレビドラマをとても見たくなった。それは何か。 「熱中時代」である。1978年から始まっている。主人公は若き日の水谷豊で小学校3年生の教師の役なのだ。「僕の先生は~♪ フィバー♪ 嵐を巻き起こす~♪ フィバー♪」と思わず口ずさんでしまうほどの懐かしさだ。なぜ、見たくなったのか。
それはいつもクールなベテラン刑事杉下右京演じる水谷豊(現在59歳)が、小学生相手に翻弄されるドジでマヌケで、そして生徒のことを自然体で愛している若き日の水谷豊(当時26歳)を見たくなったからだ。「鈴木先生」「R-17」ときて、それでは「熱中時代」はどのような物語だったのか見てみたくなったのだ。もちろん、中学生、高校生、小学生とターゲットとする場所はバラバラだが、当時は物語の展開をどのようなアプローチをしていたのか興味があった。熱中時代にでてくる水谷豊は本当に若くて、生徒に話しかけるイントネーションが独特なものがあって、生徒どころか視聴者もつい引き込まれてしまうのである。小学3年生の先生に対する素直な反応、みな生き生きとしている。このやりとりを見るだけで今の私には胸にぐっとくるものがあるのである。なぜか。それは私がこの歳になっても、私の中に内包されている「子供」が反応するからだ。 人間というものは子供が大人に変身するわけじゃない。子供を内包しつつ、大人を作られていくのだ。人間は子供を介してしか、自分のコアにアクセスすることができない。だから、この物語を見ると、なぜか涙がでることがあるのだ。シンプルに生きていた時代が昔には確かにそこにあった。私たちはいまは便利なものに囲まれて、「あらゆるシステムの中で生かされている」のだ。システムに従えば楽。システムを書き換えるのは難しい。システムの外にでるのは危険。だが、昔はシステムそのものがなかった。あるいはシンプルなシステムだった。だからといって今のシステムを捨てることはできない。つまり、私は長年、システムの中で生かされていることに気づいたとき、シンプルな生き方を忘れてしまっていた自分にきづいた。
やっぱり若い水谷豊の奮闘ぶりを見ると、こっちまで元気が沸いてくる。たまに失敗し、校長先生に叱られる場面があって、ションボリする時もある。それを見ると、「そんなにめげるなよ。まだ、先生としては1年生なんだからさ」と思ってみたりする。

私が会社勤めをしてから20年間、まるで空白があったかのような勢いで、テレビドラマを探しては、見るようになった。人間の本質をつくような社会派学園ドラマが見たかったようだ。
他にも若き日のあの人やらあの人が見られるこの熱中時代。一度、見ておくべし。
間違いなくリアルタイム世代のあなた方であれば第一声は「若いな~~~」と言うだろう。