赤間神宮お旅所 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

安徳天皇のご遺骸が流れ着き、地元の伊崎の漁師が引き揚げたと云われる場所。

現在の水先案内人制度ができる前、関門海峡の水先案内人は伊崎の漁師が務めていたとのことです。源平合戦の敵味方双方に地元の船の供出、漕ぎ手や水先案内人として壇ノ浦の漁師や伊崎の漁師が乗り込んで居たに違いない。下関地域の漁師に平家の落人伝説が有るが、漕ぎ手や兵士として従軍していたことは否定できない。近くの伊崎厳島神社、鈴ヶ森稲荷神社、上新地の長門国厳島神社の祭神は安徳天皇がお連れしたとの由緒書きがある。

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近隣の漁師さんたちは、神功皇后さんの三韓征伐や、元寇への防衛、豊臣秀吉さんの朝鮮征伐などにも水先案内人、漕ぎ手、兵士、造船などで従軍したんだろうなと想像される。

赤間神宮、安徳天皇阿弥陀陵