安徳天皇のご遺骸が流れ着き、地元の伊崎の漁師が引き揚げたと云われる場所。
現在の水先案内人制度ができる前、関門海峡の水先案内人は伊崎の漁師が務めていたとのことです。源平合戦の敵味方双方に地元の船の供出、漕ぎ手や水先案内人として壇ノ浦の漁師や伊崎の漁師が乗り込んで居たに違いない。下関地域の漁師に平家の落人伝説が有るが、漕ぎ手や兵士として従軍していたことは否定できない。近くの伊崎厳島神社、鈴ヶ森稲荷神社、上新地の長門国厳島神社の祭神は安徳天皇がお連れしたとの由緒書きがある。
赤間神宮、安徳天皇阿弥陀陵