豊浦池 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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応神天皇の産湯の水を汲んだ池、豊浦池、下関市長府古江小路町1丁目

忌宮神社正面を真っ直ぐ南下して、数十メートル先を右手、しめ縄で囲まれた枇杷の木など木々と石碑(豊浦池跡地)があります。神社社務所の方のお話では、応神天皇の産湯の水を汲んだ池があったが、今は枯れてしまった。昔は、毛利邸庭園の中の池につながっていたとのことです。
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正面遠方、北方向に神社の鳥居がある。
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早速、毛利邸庭園に行く。窪地に水が溜まっている。
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手前は芝生の庭で、屋敷の各間から眺められる。
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池の手前の赤絨毯の間に明治35年、明治天皇がお泊りになり、実質初代天皇である応神天皇の産湯の水を汲んだ池におおよそ1700年ぶりにご対面されたことになります。
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参考