濁池、住吉神社 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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新下関駅から住吉神社へ向かう途中(下関市一ノ宮本町一丁目6)に神功皇后にまつわる『濁池(にごりいけ)』と言う史跡を見つけた。ここは綾羅木川上流の支流、砂子多川の支流で、古代、このあたりまで響灘の入江であった所である。神功皇后の時代は既に水田となっていた。この史跡の西側の南北道路はみもすそ川から北上し、和布刈神事の際は神官もご利用されるだろう古代からの道で、石原で長安線と交差し内日に至る。また、東に向かって山越えすると忌宮神社に至る。

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神功皇后が新羅へ出兵するにあたり、7夜8日の間、斎戒(さいかい)して住吉大神に戦勝祈願をしたという。この神功皇后の物忌(ものいみ)の様子を伺いに住吉大神が響灘の海浜までお出ましになったという。そしてお帰りになる際に乗ってきた白馬の足をこの池で洗ったところ、清い水が濁ってしまったので濁池と名付けられたという。神功皇后は新羅から帰還後、穴門国の山田邑ではなく、現在地のすぐ近くに住吉神社を創建した。今は枯れているが、住吉神社の森から流れ出る水を蓄え、近くの水田に水を恵んでいた。

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参考