神功皇后が新羅へ出兵するにあたり、7夜8日の間、斎戒(さいかい)して住吉大神に戦勝祈願をしたという。この神功皇后の物忌(ものいみ)の様子を伺いに住吉大神が響灘の海浜までお出ましになったという。そしてお帰りになる際に乗ってきた白馬の足をこの池で洗ったところ、清い水が濁ってしまったので濁池と名付けられたという。神功皇后は新羅から帰還後、穴門国の山田邑ではなく、現在地のすぐ近くに住吉神社を創建した。今は枯れているが、住吉神社の森から流れ出る水を蓄え、近くの水田に水を恵んでいた。
参考
① 住吉神社
② 山田邑