住吉神社、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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『日本書紀』神功皇后紀によれば、仲哀天皇の9年(200年)、三韓征伐の際、新羅に向う神功皇后に住吉大神が神託してその渡海を守護し、帰途、大神が「我が荒魂を穴戸(長門)の山田邑に祀れ」と再び神託があり、その場所に祠を建てたのを起源とする。その場所は響灘の入江にあり、まさに東方向に3000m程、ひと山ほど越えた周防灘に面したところに、長府の忌宮神社がある。

祭神は住吉大神(住吉三神)の荒御魂、応神天皇、武内宿彌命、神功皇后、建御名方命となっている。応神天皇は三韓征伐の渡海前、仲哀天皇の死後に神功皇后のお腹に宿され、帰国後にお生まれしておられます。住吉大神は伊邪那岐命が黄泉の国(死の世界)から帰って穢を清められた時出現されました神様、建御名方命は大国主命の子の神様です。武内宿禰命は景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇に仕えたが、一説には、仲哀天皇の死後に神功皇后のお腹に宿った応神天皇の父親とも想定されている。

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参考



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