大化改新からの天皇と都 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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大化改新の詔(646年正月1日)から大宝律令制定(701年)までの宮(首都)と天皇を書き並べる。難波宮、大津宮、飛鳥浄御原宮、藤原京、平城京など遺跡が発掘されて確実視されている。

大化改新、白村江の戦い、壬申の乱などの一連のイベントとの関連が確定する。


参考

朝倉橘広庭宮の所在地は現在の福岡県朝倉市とされるが、具体的な場所は特定されていない。朝倉市大字須川には奈良時代の寺院跡である長安寺廃寺跡が残っており、「橘廣庭宮之蹟」の碑が建てられている。

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長安寺廃寺跡

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大津宮跡

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壬申の乱(参考)、飛鳥寺西方遺跡で飛鳥時代の建物跡が見つかり、壬申の乱の陣営と目されている(参考)。


飛鳥板蓋宮(643年-655年)
            京極天皇(斉明天皇)
難波京(645年-655年、大阪)
           孝徳天皇
飛鳥板蓋宮(655年)
           斉明天皇
    飛鳥川原宮(655年-656年)
          斉明天皇
    後飛鳥岡本宮(656年-661年)
          斉明天皇
    朝倉橘広庭宮(661年)
          斉明天皇
    後飛鳥岡本宮(661年-667年)
          中大兄皇子(天智天皇)
          白村江の戦いの敗戦(663年)
大津宮(668年-672年)
          天智天皇、弘文天皇
              壬申の乱で弘文天皇滅亡
飛鳥浄御原宮(672年-694年)
          天武天皇、持統天皇
藤原京(694年-703年、奈良)
          持統天皇
藤原京(703年-710年、奈良)
          文武天皇、
          元明天皇
平城京(710年-794年、奈良)
          元明天皇、