郁子(むべ)の実 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

天智天皇が郁子の実を食して、ムベナルカナと長寿の秘訣に納得したと言う!

面白い伝説ですね!

郁子(むべ)は日本の本州関東以西、台湾、中国に生える。柄のある3~7枚の小葉からなる掌状複葉。小葉の葉身は厚い革質で、深緑で艶があり、裏側はやや色が薄い。裏面には、特徴的な網状の葉脈を見ることが出来る。花期は5月。花には雌雄があり、芳香を発し、花冠は薄い黄色で細長く、剥いたバナナの皮のようでアケビの花とは趣が異なる(wikiより)。

{1324511A-9590-4A87-9AA1-B7289754111F:01}


参考

蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の子供を持つ大変元気で健康的な老夫婦に出会いました。天智天皇がこの老夫婦に、「汝ら如何に斯く長寿ぞ」と長寿の秘訣を尋ねたところ、老夫婦は、「この地で取れる無病長寿の霊果を毎年秋に食します」と言いながら、ひとつの果実を差し出しました。それならば食べてみようと天智天皇もその果物を一口食べました。すると、「むべなるかな(もっともであるな)」と一言天皇は言ったのです。この時に発した「むべ」という言葉がそのまま果物の名前の由来となりました。そして、これより近江の国が朝廷に毎年献上することになったのです。

「むべ」とはアケビ科の一種。春に白い花をつけ、秋に長さ7~9センチほどの鶏卵より大きい楕円形の実を結びます。むべを割ると半透明の粘りのあるゼリー状の果肉と種が詰まっていてます。むべは蒲生野北部に位置する奥島山に自生し、蔓(つる)の長さが十五メートルにもなる常緑性低木。一名トキワアケビと呼ぱれるようにアケビとよく似ています。違うところは、アケビは冬になると葉が落ちてしまうのに対して、むべは一年中緑を保ちます。また、アケビの実は熟すと割れて、白い果実があらわれますが、むべの実は開くことはありません。そのために実に虫がつかないので喜ぱれ、庭に植えられることも多いものです。また、この木の葉は、幼木のときは3枚、その後5枚、実が成る頃には7枚になるので、「七五三の縁起木」ともいわれています。むべは、奥島山の各所に自生していたようで「むべ谷」「むべが原」「ムベ蔓山」の地名が残っています。ちなみに、「むべ」という字は「くさかんむり」に「奥」という字「」を書きますが、「むべ」が奥津島に産する事から明治の頃よりこの字を当てていますが、古くは「郁子」と書かれています(参考)。


山口県宇部市の「宇部の地名の由来については、海辺が転訛(てんか)したとも、ムベ(トキワアケビ)が繁茂していたからとも、宇治部という古代部民集団の居住にちなむともいう」(日本地名辞典)