下関市の地名と琵琶湖東岸の地名 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関市の地名で安岡、蒲生野、豊浦が、滋賀県の琵琶湖東岸にも存在して野洲、蒲生野、豊浦とあることは既に指摘した。

さらに、滋賀県の竜王を発見した。

下関の竜王については、歴史的・地理的には吉見の龍王山が有力と考えられるが、相対的な位置関係や住吉神社の裏山と言う観点から一の宮町の竜王山をここでは候補として指摘したい。

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琵琶湖東岸の地名: 1 野洲(ヤス)市、2 蒲生野、3 豊浦、4 竜王町

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下関市の地名: 1 安岡町、2 蒲生野、3 豊浦(長府)、4 竜王山

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4の一宮竜王山、住吉神社の裏山


参考


琵琶湖西岸の白鬚神社東岸の沖島の奥津島神社や大嶋の大嶋・奥津島神社と一直線に並んでいる所が意味深長で、何らかの信仰を推測される。例えば、下関の地名については、これら4地点の西方への延長は宗像大社の沖ノ島につながり、下関の住吉神社に厳島社がある。

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明治26年の古地図、安土城跡の麓の町は豊浦、南の集落は蒲生とある。


近江國蒲生郡(蒲生野)の一帯を古くは、佐佐木庄と呼ばれる以外にも、「鷦鷯郷(ササキノゴウ)」「篠笥庄(ササケノショウ)」などと呼んだらしく、特に、鷦鷯郷(ササキノゴウ)などは、大鷦鷯(オオサザキ)命との関連性を伺わせます。一説に、古代に、仁徳天皇の御名代部として、全国的に雀部(ささべ)が置かれましたが、この近江の蒲生郡の辺りに、その雀部があったのではないか?とも言われています(参考)。