日本の古代から帆船はあった。埴輪の準構造船はマストや帆がついて居ないので手漕ぎの漕走船と思われているが、良く見ると船底に帆柱用の穴があった。ただし、三角帆による風上への航海は古墳時代以前についてはまだ確認出来て居ない。→ 弥生時代の渡来人はジャンク船で来た
参考
日本の古墳時代以前の帆船の線刻画の例:
古墳時代の日本の帆船の線刻画2
『三国志』の魏志倭人伝では以下のとおり、日本よりさらに遠く太平洋の彼方、水行1年で辿り着く国が記述される。太平洋を往復する航海術の存在を証明している:
女王から4000余里に裸国と黒歯国がある。東南に船で一年で着く。
去女王四千餘里又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至參問倭地絶在海中洲嶋之上或絶或連周旋可五千餘里
— 『三國志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 第三十倭
図43は岐阜県大垣市の荒尾南遺跡の弥生時代の方形周溝墓の溝から、1996年に出土した広口壺に線刻されていた絵画である。3艘の船が描かれていて、中央の船は82本のオールを持つ大型船で、船の船首と船尾は反り上がって扇形に広がっている。中央と船尾には2本ずつ旗がなびいている。もしかするとこれは畳んだ帆かも知れない。この船の前後に小形の帆船が各1艘伴走しているように描かれている(参考)。前後の小型船の上に逆三角の帆の様な物が見えるが、もし三角帆なら風上にも進める江戸時代の打瀬船の様な船が弥生時代から既にあったことになる(参考)!
有名な古代船の復元、全く動かなかった!
FBから転載、相当速度は出ようが、壇之浦の合戦の様な内海の海戦用と思われる!外海の渡海には向かないのでは!FB友達の言うには朝鮮半島から対馬の間なら24時間で到着するとか!それ以上は疲労と空腹で漂流してしまう可能性が大きい!
渡来系弥生人が中国の船で日本列島に渡来したが、中国の船には帆があった(参考)。