対馬国一の宮 海神神社 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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対馬国一の宮 海神神社 かいじん じんじゃ

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所在地 長崎県対馬市峰町木坂伊豆山鎮座
主神 豊玉媛命
祭神 合殿 彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊 外二神
この外に摂社・末社十七座

由緒
本社は、延喜式神名帳所載、対馬上県郡の名神大社和多都美神社に比定され、神功皇后の旗八流を納めた所として八幡本宮と号し、対馬一ノ宮と称されたもので、明治四年に海神神社と改称、国幣中社に列せられた。

本社の造営は、古く大宰府所収上県郡の貢祖数ヶ年分を以て充てられ、藩政時代には藩費によって、およそ四十年ごとに造営されたものである。 

対馬一の宮の海神神社は安曇海人族の神社、そして厳原八幡宮神社も渡来人秦氏系の神社であった。

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