安曇海人族系神社の特徴について | 日本の歴史と日本人のルーツ

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海人族の統率者として知られる海の神、阿曇の磯良(あづみのいそら)は、神功皇后が三韓出兵した際、皇后が成功することに大きく貢献した安曇氏の祖先です。ヘブライ語で安曇は「頑強」、磯良は「イスラエル」を意味することから、安曇の磯良は「強いイスラエル」と解釈できる。応神天皇のホムタワケノミコトがヘブライ語で解釈され、秦氏の氏神である京都、松尾大社八幡宮の境内にエルサレムの神殿の嘆きの壁と関わる特徴があり、これと関連する特徴が安曇系の神社に無いか調べた。

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志賀海神社(福岡県東区志賀島)
本殿の後ろが直ぐ山


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和布刈神社(北九州市門司区)
本殿、右手から背面が岩壁、これに注連縄が掛かり、御神体となる。さらに南に古城山がある。

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海神神社(長崎県対馬市峰町木坂247)
本殿の後ろが直ぐ山、元は八幡宮であった。

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綿津見神社(福岡県福岡市東区三苫)
本殿後ろに小高い土手がある。

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和多都美神社(長崎県対馬市豊玉町)
本殿の後ろが直ぐ山

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龍王神社(下関市大字吉見下字尾袋)
大綿津見神社を合祀、元は古宿の七曲りにあったと云う。七曲り辺りは断崖絶壁である。八大竜王を祀った中宮、上宮は龍王山の中腹にある。


結論

少数の例ではあるが安曇海人族の神社も、秦氏の神社である八幡宮や松尾大社もよく似た形式を持っていた。すなわち、本殿背面に岩壁や山があった。

参考

神功皇后を案内して響灘を巡った岡の県主の祖、熊鰐が安曇氏です。


安曇海人族の主な神社について引用した。

志賀海神社(福岡県東区志賀島)
祭神:綿津見三神(底・中・表津少童(わたつみ)命)
祖神:綿津見豊玉彦命、阿曇磯良(丸)
社家:阿曇氏
祭神の綿津見三神は、「ちはやぶる 金の岬を 過ぎぬとも 吾は忘れじ 志賀の皇神 (万葉集1230)」の歌で有名なように、尊称して「志賀の皇神(すめがみ)」と呼ばれた。天孫族と濃密な血縁関係を見れば、皇祖神としても充分頷ける名称であろう。また、この「金の岬」は福岡県宗像郡玄海町金崎の東北端、「鐘の岬」のことで、「志賀の皇神」の神威が宗像郡にまで及んでいたことになり、宗像氏との友好で濃密な関係が窺える。また、祭神の一人阿曇磯良は岬の神であり、対馬の琴崎大明神であるとされる。

和布刈神社(福岡県北九州市門司区)
祭神:比賣大神、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合尊、豊玉毘売命、安曇磯良
祖神:安曇磯良
地元では、隼人明神とか早鞆(はやとも)様と呼ばれているそうだ。ここでも、隼人の久米氏との深い関係が窺える。
この神社では、旧暦の大晦日から正月元旦にかけて、謡曲「和布刈」の主題となった「和布刈神事」が行われる。謡曲では、寅の刻になると龍神が潮を守護し、まるでモーゼの出エジプトのように波が四方に退いて屏風を立てたようになり、海底の砂平平たる状態になると、神主が海中に入って水底の和布を刈るのだが、神主が海から上がるとほどなくして潮が満ちてもとの荒海に戻るのだと語られる。謡曲はこうも語っている。彦火火出見尊(山幸)が龍宮に行って豊玉毘売命と契りを結んだ時は、海陸二つの世界の間には隔てはなかった。しかし、夫に出産の姿を覗き見られた豊玉毘売命は龍宮に帰ってしまう。それからというもの、満潮干潮は朝暮にやって来るものの、海陸の境が作られてしまったのだという。ところが、この早鞆の祭神には深き蒼海を陸にし、海蔵の御宝を心のごとくに取ることが出来る神威があり、その神威によって、現在でも当に新年が明ける直前のこの瞬間に海底への道が再び開かれ、神主は海蔵の御宝である和布を採って来れるというのである。また一説に、神功皇后が三韓征伐のために角鹿(敦賀)から豊浦に航海中、安曇磯良から如意珠を手に入れた時、皇后は海底で磯良から潮盈珠・潮乾珠の法を学んで三韓征伐に成功したと言われ、この神事はその時の遺風を伝えたものだという。主人公は違うが、こちらも潮の干満に関係した神話である。