社号 八幡宮神社 旧県社
祭神 神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、姫大神、武内宿禰
祭神 神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、姫大神、武内宿禰
由緒
本社は神功皇后三韓御征伐の時対馬國に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ三韓を平げ給ひて凱還の時清水山に行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宣ひ神鏡と幣帛を岩上に置き皇后親から天神地祇を祭りて永く異國の寇を守り給へと祈り給ひて神籬磐境を定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて同六年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社格郷社に列せられ大正五年十一月二十六日県社に昇格す。
本社は神功皇后三韓御征伐の時対馬國に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ三韓を平げ給ひて凱還の時清水山に行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宣ひ神鏡と幣帛を岩上に置き皇后親から天神地祇を祭りて永く異國の寇を守り給へと祈り給ひて神籬磐境を定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて同六年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社格郷社に列せられ大正五年十一月二十六日県社に昇格す。
参考