万葉集13-3243と反歌13-3244は従来、安芸の国の長門島(倉橋島)における歌と理解されている。
しかし遣新羅使の歌では無く、日本海沿岸の長門国の奈古が阿胡の転化であろうから、山口県の山陰側の阿武町奈古での歌と言われてもいる。さらに下関市阿川が昔、阿鼓(あこ)の浦と呼ばれており(参考)、阿川の浦かも知れない!
参考
訓読 娘子(をとめ)らが 麻笥(をけ)に垂れたる 績麻(うみを)なす 長門(ながと)の浦に 朝なぎに 満ち来る潮の 夕なぎに 寄せ来る波の 波の潮の いやますますに その波の いやしくしくに 吾妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡(あご)の海の 荒礒(ありそ)の上に 浜菜摘む 海人(あま)娘子(をとめ)らが うながせる 領布(ひれ)も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲の 袖振る見えつ 相思ふらしも
私訳 里の娘女達が麻を入れる籠に垂らしたその績麻が長い、その海の長門の湊に、朝の凪時に満ちて来る潮、夕方の凪時に寄せて来る波、その波や潮のように一層はげしく、その波のように一層しきりに、私の愛しい貴女に恋してやって来ると、阿胡の海の荒磯の上で浜菜を摘む漁師の娘子達が、首に掛けた領布も輝くばかりに、手に巻き持つ玉もゆらゆらと、白栲の袖を振るのが見えた。あの子も私と同じように、私に恋しているようだ。
反歌
万葉集13-3244 阿胡乃海之 荒礒之上之 少浪 吾戀者 息時毛無
訓読 阿胡(あご)の海の荒礒(ありそ)の上のさざれ浪吾が恋ふらくはやむ時もなし
私訳 阿胡の海の荒磯の上を越えて行くさざれ浪、その浪と同じように私が貴女を想う恋心は止む時はありません。
(参考)