伊勢神宮の天照大神、豊受大神、その他の神々は海幸を蛋白源とした食事、すなわち神饌を召し上がる。これにより、海人族と農耕民とが一心同体の大和民族となった。
魏志倭人伝に記述された倭人の食事の内容には鶏肉その他、獣肉の記述が無いが、食していなかったと仮定すると正に神饌と同じで、カロリー、栄養に申し分ない。
参考
神饌(しんせん)・・・神への食(け)。贄(にえ)
基本的に神職と氏子によって自給自足で作られる。その資金は氏子の寄進とお賽銭などである。
伊勢神宮の場合、祭神のいる内宮(ないくう)への贄に始まり、朝廷から斎宮(
さいぐう)が常駐するよになると、祭神を慰める巫女である斎宮のための贄が外宮(げくう)にも置かれるようになる。(内宮の御神饌は撮影禁止で不明。)伊勢神宮 外宮 日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうのおおみけさい) 御神饌及び干鮑・干鯛
外宮のご祭神が、御饌都神(みけつかみ=食物の神)の豊受大御神であることから、外宮のみにある御饌殿(みけどの)では、毎日朝夕の2度、天照大御神をはじめ、豊受大御神、各相殿神(あいどのかみ)、各別宮の神々に大御饌をたてまつります。このお祭りを「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうのおおみけさい)」といい、禰宜(ねぎ)1名、権禰宜(ごんねぎ)1名、宮掌(くじょう)1名、出仕2名により奉仕されます。御火鑚具(みひきりぐ)を使って清浄な火(忌火)を鑚(き)り、神々にお供えする神饌(しんせん)を調理します。
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なぜ豊受大神が丹後からやってきたかと言うと、丹後・若狭の海の贄を収穫するものがそこの海人族であり、その贄が朝廷の大切な神への税調の重要なものだったからであり、だからこそ丹後には皇女が最初に送られた。その神(みけつのかみ)に嫁いだ神妻こそが豊受神(=巫女)なのである(
参考)。伊勢神宮のある伊勢志摩あたりは海幸が豊かなリアス式海岸で海人族の根拠地であり、彼らが大和政権の親衛隊と言える。
天照大神、豊受大神の居られた元伊勢(籠神社、参考)は若狭湾の西部の丹後半島であり、海人族の根拠地でもあった。
神様の食生活は海幸が主であるが、祭神によっては好みに応じて鶏肉などを供える神社もある。