精銅、製鉄に貢献した燕系弥生人 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

日本の鉄器文化は中国東北部(春秋戦国時代の燕)あたりから、直接、または朝鮮半島を経由して伝わった。輸入した鉄を北九州で加工して製品化した。邪馬臺国初期からは、北九州で製鉄して自給した。同時に、邪馬臺国内に製鉄所が広く普及したようである。この製鉄に従事した民は魏(旧燕)から渡来した燕系弥生人であろう。

この鉄器文化に先立つ青銅器文化のうち、銅剣文化は燕と北九州が中心になって出土している。この精銅技術もやはり、春秋戦国時代に斉と争った燕からのがれた燕系弥生人であろう。この技術を改良したものが製鉄につながる。


参考

① 製鉄について

《秦から漢時代における鉄器文化》

秦の全国統一(紀元前221年~紀元前202年)には製鉄武器が威力を発揮し短期間で一気に勢力を拡大した。

その後、漢代(前漢=紀元前202年~後220年、後漢=25年~220年)には鉄器文化が更に普及、技術革新により華南地方の農業生産力が向上した。前漢武帝(紀元前141年~紀元前87年)は、鉄を国家の専売制とし各地に鉄官を設置し(『塩鉄論』)、南越への鉄輸出を禁止したが、版図の拡大は漢の鉄器文化をも各地へ普及させた。


《朝鮮半島における鉄器文化》

紀元前195年頃、燕国の亡命漢人である満により衛氏朝鮮が建国され、同時に鉄器文化も流入した(南部では青銅器時代/無文土器時代)。

紀元前108年に前漢武帝により衛氏朝鮮は滅亡し、楽浪郡(平壌付近)、帯方郡(ソウル付近)など四郡が朝鮮半島北部に設置された。これにより漢の鉄器文化が半島全体を刺激し、紀元前100年頃から朝鮮半島南部でも鉄器あるいは鉄生産が始まる(初期鉄器時代/原三国時代の開始)。

《邪馬臺国における鉄器文化》

紀元後3世紀頃、弁・辰韓(狗邪韓国)で生産された鉄が楽浪郡、帯方郡をはじめ半島全体、および日本列島(倭国)に盛んに輸出された記録がある(『三国志』魏志東夷伝・弁辰条、289年成立)。


邪馬臺国時代初期の鉄も北九州の福岡市が最初で、魏(旧燕)地域から渡来した燕系弥生人が製鉄した(参考)。


② 県別に見た鉄器の出土数(寺沢薫氏による)

{C95729B0-F3BE-4B72-8404-7AF4A9E27F5C:01}
鉄器は弥生時代を通じて圧倒的に北部九州に集中する。3世紀はじめにヤマト王権が誕生してもいぜんこの傾向は変わらないが、東日本にも普及しはじめる。 (図は、川越哲志『弥生時代鉄器総覧』[2000年]を一部時期補正して寺沢薫氏が作成)(参考)


③ 青銅剣について、遼寧省から北九州へ伝わっている。

{575518AC-D9C6-432B-9CDC-BFC5F57A6A3E:01}

{DCC11F8B-4C9C-47E5-A182-839A2D4468B5:01}

{15040F9E-6C4C-4405-BEF3-104F1327464E:01}
弥生時代の銅剣については、北九州が供給元であった。銅鐸文化圏は越系弥生人の地域か(参考)?


越系弥生人は呉系弥生人とよく似て何でも食べる(参考)。


現在まで、北九州は鉄生産の中心地です(参考)。