古代日本人の服装と言われるものはウソかも知れない! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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皆さんが下の写真を見られた時、ほぼ全員、弥生時代または縄文時代の服装と言われるでしょうが、どうも嘘のようです。

当時の写真は無いので、考古学的出土資料として麻の繊維を検出し、魏志倭人伝に貫頭衣と書いてあるから、多分こうであろうと想像しただけです。縄文人の服装に至っては、現代のアイヌ人の服装からの類推でしょう!

現在、著者は日本人と同じルーツを持つ中国の少数民族との比較をして見ていますが、現在の和服の特徴を持っており、弥生時代以前から現代と良く似た特徴の服装であったと思われます!たとえば、中国の江南あたりから日本に渡来した呉系弥生人(O2b)の服装はVネックの和服(呉服)になり、山東半島あたりの斉から渡来した斉系弥生人(D2)の服装は神主さんの狩衣(斉服)になっていました。

これらの事実を考えると、渡来してきた弥生人たちは当時の中国の最先端の知識を保持していたと考えられ、知識人達は漢字の読み書きその他が出来、従来の時代観を変える必要がある(参考)

さらに、弥生時代の中国の漢に倭国(九州)、東鯷国ともに朝貢していた(参考)。さらに、国境の概念の無い当時、民間レベル(海人族)では中国の最先端の知識は確実に持っていたと考えた方が良い。単に中国からの渡来直後で、社会インフラが当時の日本に無く、社会インフラ整備に数百年かかっただけである。

考古学的出土品がないから文化が無いとするのは間違いで、文化レベルは中国国内に居住していた時と変わらないと考えたほうが正しい。すなわち、中国国内外の少数民族の文化(味噌、醤油、納豆などの食品や下駄、草履などの衣装、果ては建物のデザインなど)との類似性が指摘されるのがその証拠である。


参考





③ 従来の時代感による弥生人や縄文人の服装

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