伊勢神宮は敵地に乗り込んで孤軍奮闘する前線基地であった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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乱雑な街並みに不自然に伊勢神宮が鎮座していた!お伊勢さんのお膝元、さぞや美しい条坊制の街並みがあるのであろうと期待したが、裏切られた!

乱雑な街並みは中国大陸の江南あたりの呉系弥生人の住宅地であった。規則正しい奈良や京都の街並みは中国大陸の北方の山東半島あたりがルーツであり、ヤマト政権の斉系弥生人や秦氏の作品であったことは、既に報告している(参考)。

すなわち、呉系弥生人に開拓し尽くされた土地の南の山中に伊勢神宮がある。古墳時代後の乙巳の変(645年)以降に整備された神社群の一つであった。元々は宗像大社の地にあったと考えられる(参考)。

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伊勢神宮の地元、伊勢市の市街、乱雑な街並み

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伊勢市周辺の無秩序な水田

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志摩あたりの例外的に綺麗な街並み、志摩磯部


参考

伊勢の地は魚介類と塩を確保するための前線基地であった(参考)。


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伊勢湾口東、渥美半島(海人族安曇氏の開拓地)、古墳が海岸側にあり、この開拓地が古代にまで遡るこを物語る。

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名古屋市内の美しい街並み、織田信長の時代は戦乱があり、尾張徳川家時代は現代から近いので、室町時代以前から開拓したと考えて良い。地名に志賀町を見つけた!これは滋賀県にもあるが、北九州の志賀島を根拠地にした海人族安曇氏(C1)が開拓し、斉系弥生人(D2)や秦氏(D2)が居住した証です(参考)。

名古屋の熱田神宮は津守氏が宮司を務める住吉系の神社であり、天皇家の三種の神器の一つを保管しており、やはり安曇氏とのつながりがあった。


追加

伊勢湾口に神島があり、神宝が納められている(参考)。宗像の沖ノ島と同じであった。この地形を探したのであろう!今の伊勢神宮に落ち着く前に何ヶ所か移動した神話はまるきり嘘では無いようだ。