糸島半島の付け根の神在の地は伊都の県主の祖、イトテ(五十迹手)の本籍地です。彼は海人族安曇氏の一族で、一族の長が蘇我氏の祖である武内宿禰です。神社分布だけで無く、条里制地割の水田がその証明です。
魏志倭人伝の中の伊都国の首都です。
水田は条里制でありながら住宅地は乱雑であり、水田開発は支配者の海人族安曇氏、農民は呉系弥生人達です(参考)。
現在の伊勢神宮は、元々は宗像市の宗像大社の地にあり、高宮において海人族安曇氏が天照大神を祭祀し、沖ノ島にお宝を安置していたが、646年に天智天皇によって宗像氏に下げ渡され、宗像三女神を祀ることになった(参考)。
ところで、糸島市の夫婦岩(北方向)と長門二見の夫婦岩(西方向)は沖ノ島をにらんでおり、沖ノ島信仰を暗示しています。すなわち、この信仰形式が伊勢市の二見が浦の夫婦岩となった。沖ノ島に相当する信仰対象が伊勢湾口の神島であった(参考)。
参考
あるブログを誤解も含めて丸々引用します(参考)。