長府地区の遺跡は奈良時代から | 日本の歴史と日本人のルーツ

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綾羅木川流域と長府地区の遺跡分布について、下関市立考古博物館発行の研究紀要(第10号、2006年)からコピーした。

古墳時代と奈良時代以降を比較すると、長府は奈良時代以降に本格的に開発されたことが示唆される。それまでの中心地は綾羅木川流域であった。すなわち、穴門の豊浦宮は疑い無く綾羅木川流域にあった。

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古墳時代

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奈良時代以降


参考

古墳時代は645年まで、奈良時代は710~784年とする。645年(乙巳の変)から720年(日本書紀完成)は過渡期と言うか、各種疑惑のある時期と考えられる。

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秋根遺跡(参考)


奈良時代の遺跡分布については長府出土が増える(参考)