崇神天皇も海人族安曇氏の入婿 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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崇神天皇の皇后は御間城姫と言うが、崇神天皇自身の和風諡号が御間城入彦五十瓊殖天皇であり、皇后の御間城への入婿であった。この皇后の父親は四道将軍であった大彦命であった。この大彦命は海人族安曇氏に入婿して、阿倍氏(海人族安曇氏)の祖となっている。

この阿倍氏の系図では、大彦命の父の孝元天皇の下に崇神天皇や武内宿禰(海人族安曇氏の葛城氏や蘇我氏の祖)を置き、御間城姫も阿倍氏系図に記載されている。


参考

① 崇神天皇

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② 御間城姫、崇神天皇の皇后

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③ 大彦命、御間城姫の父

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⑤ 阿倍氏は海人族安曇氏と同族(参考)

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⑥ 阿倍氏系図(参考)

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⑦ 神武天皇の東征、応神天皇・神功皇后の帰還も海人族安曇氏のおかげ(参考)


⑧ 天皇は蘇我氏が滅びるまで、海人族安曇氏の女を皇后に娶った(参考)