記紀、海部氏本系図、勘注系図からの出処で若干結果が異なるが、倭迹迹日百襲姫は卑弥呼又は臺輿の候補と言え、海部氏、すなわち海人族安曇氏の女系女子であった。参考①では葛城(葛木)氏系の安曇氏、参考②以下では海部氏系の安曇氏となろう。
出生地はよく分からないが、海人族なら日本列島何処でも移動できるが、北九州から山陰海岸の何処かとは言えよう。当時の海人族安曇氏の本拠地は北九州の宮地嶽神社であることを指摘する(参考)。
また、倭迹迹日百襲姫の甥の子の崇神天皇の母も海人族安曇氏の出であった(参考)。
参考
① 建諸隅命と葛木高田姫の娘が大海媛
(大倭久邇阿禮姫命)
大海媛の娘が倭迹迹日百襲姫
② 紀では、国香媛
記では、意富夜麻登玖邇阿禮比賣命
娘が倭迹迹日百襲媛
勘注系図では
建登米命の娘の宇那比姫命が卑弥呼
建諸隅命の娘が天豊姫命が臺輿(竹野媛)
(参考)
建登米命の娘が宇那比姫命 卑弥呼か?
⑥ 倭迹迹日百襲姫の甥の子が崇神天皇